落書き厨子


(photo by Zushiya)
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落書き厨子
錫高蒔絵の手法を使った『落書き錫研きシリーズ』の一環です。
厨子内部 棚図面



扉を閉じた時の全体が「オブジェのように」見えて、日常の中に静に佇んでいるように..................

...........というのが、この作品のコンセプトだったので、外見はモダンで通した。でも、扉を開けた途端に、僕らの古層にスッと入っていけるような空間を是非演出したい・・・・・そんな願いから、右と左に明確な偏り(意味)をもたせました。

『右』は、所謂「ケ」として日常の雑多なものをしまえる空間。

『左』は、「ハレ」として非日常の遺品や法事に関係するもを置ける空間。

右の扉を閉じると「ハレ」だけで使えるようになり、そのため、中心の珊を左の扉の幅まで広げてあります。
<我が宗教史>
鎌倉彫の修業時代、寸暇を惜しんで美術書を読み幕っていました。当時、心頭していたのが『薬師三尊』/『聖観音立像(薬師寺)』、そして『百済観音』でした。
 
 思えば未だ小さかった頃から仏像や宗教には、何か惹かれるものがありました。
 中学三年の進学相談の時、担任に「高校へは進学せず牧師になります.....」と伝え、それを聞いたおふくろは、泣きました;;;三年前亡くなった叔父だけが「いいじゃないか」と理解をしてくれたのが救いだったことを覚えています。
 
結局、それは叶わず今に至っていますが、今もって宗教には強い関心があります。卒論は、宗教哲学にしようと思ったくらいでしたが、これは!という担当の教授がイギリスへの留学が決まってしまい諦めました。

その後、吉本隆明氏や中沢新一氏などをマークしつつ、宗教への関心は今も変わらず持ち続けています。

(open.........photo by Zushiya)



(Extra box)
 イメージの自律化

essay 「装飾の起源」でも触れたように、知覚による観念は、目に映っている、目の前にある情景から自在に離れて何処までも行くことが出来る。いや、何処までも行ってしまえる、と言った方が適当かもしれない。
壁に付いた「染み」からも、人は自由に雲や動物など、あらゆるものを連想できる。そして、それぞれのイメージは、自律化し、さらに、そこからも自由に飛翔していく。

そして、イメージは、オリジナルから遙か離れて自律化し、無限運動を続けてゆく。
一番密度高い空間としてExtra box を設置。バックには箔を貼りました。この箔ですが、ずっとずっと昔から。やってみたいことがあったのです...............。

鎌倉彫の修行当時、僕は毎日、美術書を睨み、たくさんの国宝の仏像を目で追っていました。ある時、不謹慎にも仏像本体ではなく、その背後に金屏風のようにあった後背の『疵』に目が行ってしまったのです。

「なんて美しいんだろう.......」。

ほんと不謹慎なのですが、恐らく清掃時に、仏像本体を移動する際、うっかり出来た疵の重なりなのでしょう。そこには、鋭く引っ掻いたような痕、鈍器がぶつかったような痕、そして何かが擦れあった痕などが残されていて、見方によっては、痛々しくもあるのですが、僕は、そこに時間の厚みと、仕方なく付いてしまった『作業痕』を美として感じてしまったのです。これは、もう壁に付いたキズが、イメージとして自律化する象徴的な出来事でした。

いつか必ず『表現』として、このイメージを定着させたい・・・・そう無意識に頷きました。

表現に至る霊感の受容とその表出を、まるで仏教思想の『往還』を地で行く様な軌跡をもって、現代の厨子の重要なところに使われるといった偶然が、ここにはありました。不思議です。



(京都 鞍馬寺 毘沙門天)

(正面..........photo by Zushiya)
size:w70×h70×d15.3(cm)
仕上げ:高蒔絵+錆び仕上げ(土と水で粘度状にしたものにうるしを混ぜたもの。本来は下地に使われる)。
<  扉 >:錫高蒔絵
<内 側>:錆び仕上げ
<外 側>:布着せ錆仕上げ

本体:MDF

MDF・・・微細で均質に粉化された木材を圧縮したもの。
      本体の構造が、どうしても木材だと狂いが来てしまうものに使用します。
       【音の歪みを抑えるため、高級スピーカー等に使われています】

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