蓬莱紋彫厨子

仏師にルーツがある鎌倉彫出身の僕は、多くの傑作が残されている笈(厨子)から、たくさんのインスピレーションを得ています。 「新しい厨子を提案してみませんか」というお話を頂いたとき、産まれた河に遡行する魚のように、本来あるべき場所に還る喜びとともに、「今」に根付いた厨子を創ってみたいという、 数百年のDNAを引き継いだ想いで現代の厨子を制作してみました。
椿蓬莱文笈  中尊寺蔵





<厨子を制作するまでの経緯>


上の画像(椿蓬莱文笈)は、中尊寺に保存されている鎌倉彫の代表作です。製作年代は、室町時代と推測されていますが正確なところは分かっていません。
80年代の美術動向

80年代に入り、それまで席巻していたミニマルアートとその功罪としての美術の停滞に対して、その渦中から新しいムーブメントが生まれました。所謂ニューペインティングの誕生です。禁欲的なミニマルによって自閉してしまった美術を、節操なく、そして理屈なしに饒舌に描くことを良しとする動きです。

(KOTOBUKI-JU)
自分の中の美術動向

僕が鎌倉彫の世界に飛び込んだ頃(1975年)日本は、アメリカで起きたミニマルというコンセプトが、遅れて取り入れられたとはいえ徐々に社会に定着し始めていました(当時、カラス族と呼ばれたコム・デ・ギャルソン等がその代表でしょうか)。

極限まで無駄を省き、ぎりぎりまでシンプルさを追求するミニマルの姿勢と対極にあった、装飾のかたまりである鎌倉彫は、当時趣味の悪いキッチュでダサイものの代表に見えていました。

かつては、鎌倉彫に代表される「装飾」に人々は、ある美を見ていたはずだ・・・・・
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僕がシンボリックな古典文様を使うのには訳があります。宗教には興味はあるものの、まったくの無宗教な僕にとって佛教関係の古典文様は、単なるお約束です。その意味では、単なる記号でしかありません。しかし、どんなに世の中が近代化しても、僕らの無意識には(古層には)仏教と神道が混在してDNAのように沈殿しています。

もっと言えば、
仏教と神道の先に土着の原始宗教もあったはずです。それらのプリミティブな霊力を何とか共振させたい・・・・そして、それらの霊力の力を借りたい・・・これが古典文様を使う根拠です(デジャブのように)。

どんなに世の中がIT化されようと、過去を断ち切れるものではありません。僕らは、刷り込まれた過去の分厚い歴史を引きずりながら生きているわけです。

だからといって、いたずらに古典文様を使うと、ちょっと間違えただけで、とんでも無くズレた間抜けな空間が表出してきます。そこはもう際際で、気の抜けないところです。
そんな想いを「いつかモダンな洗礼を受けた鎌倉彫を提案できないか・・・・」と長い間思念し続けていました。
 
80年代の中頃、自分のなかでの機が熟し、それまで表に出さずに暖めていた「装飾」としての鎌倉彫を、堰を切ったように吐き出しました。そして、その中にあったのが『蓬莱文』です。

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(open)
size : h16.2×w15.0×d15.0(cm)
仕上げ:錆び(土と水で粘度状にしたものにうるしを混ぜたもの。本来は下地に使われる)。
<彫刻部>:文様を彫刻した後に銅粉蒔絵を腐食させ緑青を出す。
<内 側>:錫蒔絵
<文字部>:錫蒔絵

本体素材:伝統的な木材を使ったものに加え、時間の経過を考慮して変形の生まれない新素材でも作ってみました。

天然木・・・朴

MDF・・・微細に粉化された木材を圧縮したもの……高級スピーカー等に使われています。

新素材・・・粉体積層造型機を使用し、レザー焼結法によって3Dデータにより造形。
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