公募展  
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2005~2010 常滑レポート index
 現代陶芸も仕事の守備範囲に入ってきてしまったことから、いろいろな作家の個展に顔を出し、イベントにもかかわり、博物館・美術館の企画展や公募展も見るようになった。

 地元の公募展も審査が終わり、12月の展示に向けていろいろな催しが予定されている。
そして、全体として感じるのは沈滞という印象ということになる。陶芸界でもっとも勢いのある産地の一つが多治見であろう。
   
 そこにはセラミックパークMINO、岐阜県立現代陶芸美術館というすごい施設があり国際陶磁器フェスティバル美濃というイベントが開催されている。その中心となる企画が第9回国際陶磁器展美濃という3年に1度の公募展だ。

 30年前、常滑に戻ってしばらくして陶芸家との付き合いが始まり、それから10年ほどの歳月、現代陶芸を中心としたアートシーンに首を突っ込んでいた。そのころは中日国際陶芸展や朝日陶芸展という新聞社系の公募展が盛大に開かれていた
 
常滑市民俗資料館




 地元の中日新聞が名古屋で開く展示は見ごたえがあった記憶だが、これは早くに店じまいをしてしまった。朝日の名古屋の展示はあまり盛大だったという記憶がない。そして、名古屋から高浜に開催場所を移してからは見に行くこともなくなってしまったが、やがて終了ということになた。

 新聞社系では毎日の日本陶芸展が今も健在ながら、名古屋での展示はなく、これはいまだ一度も観たことがない。そして、日展と伝統工芸展。前者はあまりに人が多すぎて苦手だ。後者は近年名古屋の展示には出かけるようになったが、各種工芸の一部門であることと、さらに、どうも代わり映えしないという印象。
 伝統がそうそう変わっても困るわけだが、まるで伝統工芸展スタイルといったものが目についてしまう。それはもう30年前にも感じていたいことだった。

 日本美術展覧会という国による公募展に第4部として美術工芸が入ったのが昭和2年のことだ。柳宗悦の民芸運動もそのころに本格化する。そして、桃山陶の見直しが、加藤唐九 郎や荒川豊蔵らによって行われるのもこの頃からだ。
   
 昭和初期の国粋主義的傾向とどこかでつながっていると見るのは穿ち過ぎだろうか。そして、日中戦争から第2次世界大戦と突き進んで、戦後となる。伝統工芸展ですら戦後の事業である。

 戦後の陶芸界の隆盛は柳の手仕事による美の王国の建設といった方向が技術立国という国家の方針と結びつき、各地の伝統工が地域の伝統の自覚によるアイデンティティーの再構成という流れにも乗っていたと思う。

 さらに国際化の流れにもうまく乗って行ったのだったが、それは陶芸が日本ほど盛んな国はないという現実を認識することでもあった。日本の公募展に数多くの国の陶芸家がエントリーすることと、日本の陶芸家がほとんど海外の公募展に出品しないという事実がそれを証明していた。
  
 そして、今、まるで運送屋さんをいじめているのかと思われるような作品がなんと多いことだろう。土による表現は多様であり、極薄、極微な表現が可能なのだが、それらがまるで病的なまでに進んでいるというのが強く受ける印象であった。

 抽象表現という新たな沃野も、そこから生まれたオブジェ群によって土壌の栄養が切れてきたようだ。中日・朝日はこちらにウェイトが置かれていたという記憶だ。そして、なんといっても走泥社の解散だ。第2世代の集結はない。個々の作り手がその内面の葛藤を形にしているかのようだが、第1世代は議論を戦わせていたのと対照的な光景だ。
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