蝉しぐれ  
常滑レポート index
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無常
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歴史的新年の閃き




2005~2010 常滑レポート index
蝉しぐれがまるで欅の大木を揺らすかと思えるほどに鳴り響くのが30年間勤めている資料館の夏だ。駐車場はギンヤンマが縄張りを設定している。そして、クマゼミやアブラゼミニイニイゼミの泣き声に混じってツクツクボウシがかぼそい声をあげ始めた。


夏休みの季節、学生を館務実習を受け入れ、専門知識のあまりの守備範囲の狭さに驚かされる。一般教養の欠如は研究所の実習生を見て来ているので承知していたが、そして、専門分野が細分化されていることも良く承知しているのだが、それにしても基本のキ的知識が欠けてるのにはいささか愕然だ。


   
 おそらくはこの国全般で起こっている現象で、蛸壺化ということになるのだろうが、やはり問題ではある。原子力工学という分野もその流れの中にあるのに違いない。そして、想定外の事態に対して全体を見通すことが難しくなっている。


原子力工学は1950年代後半から本格化したとウィキペディアは教えてくれるが、それは現代陶芸と同じ流れだ。原子力が夢のエネルギーとしてもてはやされ、化石燃料に続くという認識は高校のころに物理の先生が語っていた。70年代だ。
 
常滑市民俗資料館




70年代から80年代にかけての現代陶芸は高揚感に包まれていたように思う。そして、それをもてはやす企画が毎年のように各地で企画されていたのだった。さらに、海外に手本となるような作家や動きが存在したのだ。


素人考えながら核廃棄物の簡便な最終処理技術がどこかで確立されれば、原子力工学もまた活気づくと思うのだが、その可能性が絶望視されているからこそ、超深度埋設などという原始的な、そして膨大な金のかかる、さらに引き受け場所のないプロジェクトに向かおうとしているのであろう。
そこへいくと陶芸は気楽なもので大掛かりな抽象作品などは作らなくなり器物へと回帰していくだけのことだ。淘汰されつつ。


コンスタンティン・ブランクーシのバイオグラフィーを眺めていると、彼がロダンの工房で仕事をしたことがあることを初めて知った。わずか2ヶ月のことであったというが、「巨木の下では何も育たない」というのがロダンから離れた理由だという。なるほどなあ。
   
いずれ蛸壺の中から新たなブランクーシが生まれてくるのだろうか。ブランクーシからイサム・ノグチが生まれたことは比較的良く知られていると思うのだが、その流れはもうないような気がしてならない。


走泥社が50年の活動を終えて解散したのが1998年だ。この会の活動が次の世代に受け継がれ新たな展開になっていないのが、21世紀の現状だ。いくつかの会派が活動の維持に汲々としているというのが現状ではないか。彫刻の領域でも似たところがあるかもしれない。
  
東日本の震災で原子力工学系の蛸壺は割れたようだ。そして、福島の原発は相変わらず危機から脱出できずにいる。なんとも暗示的な状況ではある。
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