(霙の京橋)
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お久し振りです。  大きく「」とは失礼;;



第二回『粋・境の厨子展』、好評の内あと二日(会期は、15日火曜日お休みで16日と17日最終日となります)となりました。雪や霙の悪天候の中お出掛け下さった皆様ありがとうございました。



自信作DMの『椿梅紋彫厨子』も、かなりの高額にも拘わらず、とても気に入ってお求め頂きました。感謝



今回は、どういった訳か、厨子をお求め下さった方が、立て続けに三人全てクリスチャンの方だったのが意外でした。作者としては、宗派を超えた普遍性が多少なりとも表現できているのかな。。と正直嬉しく思っています。そして、存命の内に、ご子息やご本人の厨子をご用意なさる方が沢山いらっしゃることを知りました。日本人の中にも、未だ未だしっかりとした死生観をお持ちになっている方々が、かなりいらっしゃり、世間知らずの自分を恥じています。

(「昼の月.........銀座一丁目」)
一応、第二回厨子展だったのですが、意外と「厨子とは、そもそも何だったのですか・・・」といった質問を繰り返し受けました。

Wikipedia によると、厨子(ずし)とは、仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種。広義では仏壇も厨子に含まれる・・・・とありますが、書き掛け項目との<注>があったので広辞苑で確かめてみると以下の説明がありました。

(本来厨房において食品・食器を納めた棚形の置物)

〓仏像・舎利(シヤリ)または経巻を安置する仏具。両開きの扉がある。

〓調度・書籍などを載せる置き戸棚。棚の一部に両開きの扉をつけてある。厨子棚。




つまり、厨子とは、元々は大切なものを保管する器物ということになります。厨子に関しては、 Google で検索しても詳細な回答が見れなかったのは、恐らく一般的に厨子そのものが、そして「死」という概念が、日常から遠く離れているところに置かれているからではないかと思えます。

(銀座一丁目)
「死」とは現実です。それも相当重い。



中日に、昨年僕の古文字厨子をお求めになった若い御夫婦がお見えになりました。昨年、待望のお子さんを授かったものの心臓にちょっとした疾患があり、手術は成功したにもかかわらず感染症に罹り僅か四ヶ月の命で他界なさったことを伺いました。「四ヶ月でも一緒に過ごせたことが幸せでした・・・」という言葉は重く、こちらも言葉を失いました.......。

とっさに、お話を伺っていた奥様の後ろの棚に展示していた『中也詩椀』が目に入り、その詩の内容をご説明しました。



中原中也が、小林秀雄と長谷川泰子との血みどろの三角関係を終え、幾分かの心の平安を取り戻した後、泰子とは対極にあった極々普通の女性と結婚し男児文也を授かった。不幸にも息子文也は、二歳でこの世を去ってしまった。『雲 雀』や『春と赤ン坊』は、そんな中也と文也への鎮魂歌です。


春と赤ン坊                   中原中也「在りし日の歌」


 
 菜の花畑で眠つてゐるのは……
 
 菜の花畑で吹かれてゐるのは……
 
 赤ン坊ではないでせうか?
 

 
 いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
 
 ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
 
 菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど
 

 
 走つてゆくのは、自転車々々々
 
 向ふの道を、走つてゆくのは
 
 薄桃色の、風を切つて……
 

 
 薄桃色の、風を切つて
                         しろくも
 走つてゆくのは菜の花畑や空の白雲
 


 ――赤ン坊を畑に置いて
二歳で亡くなった中也の息子文也への鎮魂歌です・・・・と伝えたところで、厨子屋さんのスタッフがプリントアウトしてくれた中原中也の詩に目を落して涙をぬぐっておられた。



厨子を制作すると言うことは、こういった不幸も一緒に背負うことになります。僕自身は、こういった場面に立ち会っていること自体、他に代え難い価値ある仕事をさせて頂いていると深く感じ入り名誉に思います。お椀では、ここまで人の生き死に拘わることは出来ません。



僕がこの世界に入って直ぐ、いや入るずっと前から人間が持つ絶対値をすべてカバー出来る仕事に就けたら理想だと思い続けていたので、人の生から死に至る全体に拘わる厨子の制作は、他の仕事では代え難い特別な充実感があります。



僕の父は、宮沢賢治のように、小学生の時に寺子屋に通い、親を説得して浄土真宗に入信させたというほど熱心な仏教徒だったと聞いています。先の戦争で従軍し、身も心もズタズタにされて終戦を迎えたことがとても気の毒でした。多分、あの世で僕の今の仕事ぶりを見て、羨ましく、そして喜ばしく見守ってくれていることと思います。

(『はーと落書万葉小厨子』 蓋...........制作中)
 
上の『はーと落書万葉小厨子』を親父が見たらどう思うでしょうか・・・・。眉をひそめる・・・、いや微笑ましく思うに違いありません(結構気に入っています)  

(京橋 片倉ビル)








さて、厨子屋さんのある銀座一丁目のお隣は京橋ですが、日本橋再開発に連動してか、僕の大好きだった明治の建築の片倉ビルが取り壊され平地になっていました。涙が出るほど残念です。日本人は、どうして自分の出自に関わるDNAのような核を、いとも簡単に消去するのでしょうか。ほんの一部でも遺して新しく建て直そうというセンスがないのが悲しいです。無意識に、もの凄いダメージが残ると思うのですが・・・・・・。   

片倉ビル内の背丈ほどあった立派なトイレ.........2004年
さて、さて、今回の個展では、特別な出会いがありました。超マニアックなコレクターで、鞄に仕事の行き帰りに読んでいるという江戸期の謡曲本を携えて見えたのです。ひらがな好きの僕でも殆ど読めませんでしたが、彼(武藏国 碑文谷村 宮之久保内 榎本惣三郎氏)は、更に読みづらい謡曲本を読むためのウォームアップで読んでいるとのこと。下の画像は、惣三郎氏が高校の時の先生に頼まれて大分前に複写したという、中国西周時代の青銅器『卣(yuu)』に鋳造されていた殷墟文字の拓影です。僕が是非みたいと頼んだら、翌日資料を数十枚コピーして持参してくれました(勿論、頂きました)。



上段の船の柄は、殷墟文字ではなく、図像文字といって所謂ファミリーネームのような謂わば家紋にあたるようなものでしょうか。父丁とは、殷周代から春秋後期に現在の中華人民共和国河北省唐山市に存在した国家で孤竹国の君主を指します。



惣三郎氏の出現で、会場は、連日濃い空気が流れ、時代や国を縦横無尽に行き来する毎日で、世の中には、半端じゃなく博学な人がいるもんだと感心しきり。僕が今度は、『はーと落書万葉小厨子』に西洋音符じゃなくて和楽譜を落書したいのでその資料はないか・・・・と頼んだら、早速立派な装丁をした江戸木遣りの本を亀屋和泉萬年堂の和菓子付で持参してくれました。感謝。
 

(武藏国 碑文谷村 宮之久保内 榎本惣三郎氏から頂いた殷墟文字拓影) 
 
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そんな鬼神惣三郎氏の話が聞けるのもあと二日。次は、どんな資料と和菓子を持参してくれるのでしょう・・・・・・楽しみです。



それでは、あと二日、いい出会いがあることを祈って寝床に入ることにします。。
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