『折々の風景』   

前回の投稿からあまりに時間があいてしまったので、何から書いてよいかわからないので、折々に撮った身近な風景の写真をお見せしようと思います。

 
 

《小さな住処》

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『手漉和紙大鑑』  
多彩な冬
 







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小さなノートと万年筆を常に持ち歩いていて、日記というほどでもないのですが、その時々の頭に浮かんだ言葉などを書き記しています。それが二十年くらい・・・続いた習慣なのですが、どんなときもそのノートが自分の一番の友達で、それによって気持ちの整理などを一人でしています。手で文字を書くことがとても好きです。


《緑の毛布》

 

ずっとurushi-art.net.に書かなくては・・・と思いつつも東さんに不義理をして何もまとまらずここまできました。ずっと、何か文章を自由に書いてみたいと思い続けていたのに、子供がまだ小さいので、私の脳は子育てに夢中なのでしょうか?それとも独身時代と違って、一人で考えたり書いたりする時間と空間の確保が難しいからでしょうか?


 

私の小さなノートを見ると、主に、また仕事を存分にしたいという気持ちと、かつての仲間たちから離れてしまった寂しさからくる恨み節などが途切れとぎれに書き付けてありました。


《枯れ野原》

2009

1017

 「私は励まされてもうれしくない・・・!」


                    《山の冬支度》

2010

611

  「『和楽』を立ち読みした。私になくてここにあるものは有り余るお金くらいのものだな、と思った。突詰めて考えると、人をうらやましく思う要素はそんなにない。そういうことをきちんと認識しておくべきと思った。」

618

  「どんな夢でも見ると悲しい。自分の心を知るのは悲しい。」

1216

 「都会から遊びに来る人に、自分の暮らしぶりの変化を報告したいと思っても、彼らは自分の憂さ晴らしにやって来るのであって、私がその憂さを受け止める立場になってしまっている。お喋りしたいと思っても、いつも不完全燃焼に終わる。」

 

 
 
 
《霜》
 
 

2011

519

  「「また君に恋してる」をきいて、歳をとったなと思う。思い出を捏造したい。何か美しい思い出があったかのように記憶をでっちあげたい。」

613

  「何事も「我が事」のように思って打ち込まなければ仕事なんて何か為すってことはできまい?自分がそこに没頭しないことには・・・。それは仕事を私物化するのとはまったく別のことだ。」

722

  「競争ではないのだ。そして誰かに寄りかかってするのではない。私はもう十分に強いので、誰の指示も受けずに一人で立ってゆける。」

81

  「体を使う現場にいる人がいい、人と人とのメンドクサさを許している人がいい、遠くの青白い光を見つめ続けている人がいい、自分の個性を骨身にしみて知っている人がいい、挫折して時々揺らいだり変わったりする人がいい。」

1012

  「新しい環境に適応してゆくというのが、自分のある部分を鈍化させるのと同じになってしまっている。私は今まで鍛えたことのない箇所の感性を鍛えているのであるか。一人でも、やらねばならんか。」

 
 
《深雪》










《雪晴れの朝》
 
 

2012

216

  「生い立ちも仕事ぶりも、土着のにおいのしない人にはほとんど興味を持てない。」

426

  「手付かずの資料をたくさん抱えている研究者には殺気がある。殺気というか、独特のにおいというか。湯気が立っているような、草いきれのような。面白い仕事をしている人には目の中に隠しきれない愛嬌がある。この殺気と愛嬌がないまぜになっているのはよい学芸員と思う。」

 
 《山から水を引く》  
 

・・・

なんだか個独いえ孤独が傍目に痛々しいですね。いえ、わかっているのです、自分以外の誰かに何かを求めても意味がないということなど。

ただ、仲間とのとりとめのない、遠慮のない、お喋りがなつかしいのでした。

 
 
《産卵》
 
 

今年度から地元の市役所の正規職員として採用され、やれやれといったところです。といっても流行の任期付職員というやつで、四年後は私の立場はどうなっているか、わかりません。目の前のことを一つ一つ片付けてゆくしかありません。

まあ、また無職になったらお寺の掃除が私を待っているし、裏山から山野草でも採ってきて活けてみようかな。子供にケーキとか焼いちゃうお母さんになっちゃう??

 
 
《青い花の四月
 
 

先日、恩師や友人達、仕事で関わりのあった人達に、再就職のお知らせを葉書で出しました。親しい人達の何人かはメールや葉書でお祝いの言葉をくれました。そういうのはやはり、しみじみありがたいものですね。

そして福井の地でこれからお世話になるであろう方々にも、同じ葉書でご挨拶をしました。まだ面識もないのに丁寧な励ましのお手紙を下さった方があり、心を打たれました。

私は・・・この土地で骨を埋める筈です。これからどのような人間関係を築いて、どのような人生を送るのでしょうか。

まずは、自分の生活を立て直したいと思います。自分以外の誰かに合わせていた行動を、少し自分本位の方向へ持って行きたい。そうしなければ、ぶっ倒れちゃいますからね。

 
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