多彩な冬   
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 2011
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 「よくこんな暗くて寒いところへ来なはったなぁ、奥さん。東京へ帰りとうはねえか?」
福井へ来て最初の冬、会う人ごとにそういわれた。
 「そんなことないですよ。空気はいいし、お米は美味しいし、ここはいいところですよ」
と、とりあえず毎回言ってみるのだった。

確かに北陸の冬は関東とは真逆の天候が続く。11月後半ともなると曇天の日が続き、冷たい雨とともに激しい雷が幾度となく鳴り響く。この辺の人は「ゆきがみなり」という。雪が降る前ぶれなのだ。もうそうなると、本格的な春が来るまで、すっきり一日中晴れるということはない。冬の間も梅雨時と同じような湿度の高さが続き、畳はじっとりと湿っている。

 天気が悪いと言っても、一日中暗い雲に覆われているわけでもない。日本海から流れてくるちぎれちぎれの雲は速度が速く、雪が激しく降ったかと思うとふっとやんで、雨になったり、時々陽が差したりもする。雪が降ってしまえば一面真っ白になって、晴れれば光が反射して目は痛いほどまぶしい。辺りの景色は白一色に塗りつぶされ、自分がどこに立っているかわからなくなる。

冬の朝には濃い霧が発生することが多く、そのためによく列車が遅れたりする。雲の中にすっぽり入り込んでしまったような日は、いつにも増して物音がせず、村中がしんとしずまりかえっている。色彩は完全にグレーの階調の中に溶け込み、まるで自分が墨絵の中に入り込んでしまったようだ。

私の住んでいる地区は越前和紙の生産で有名なところで、名だたる画家達がここの紙を使っていたという。この地を訪れた画家も多いと聞くが、なぜ彼らは越前を描かなかったのだろう?といつも思う。そしてここの人達は、なぜ「暗くて寒い」というばかりで、この景色の豊かさを外に向かって語らないのだろうか?

山の連なり、その麓に肩を寄せ合うような瓦屋根の村々、福井ではどこにでもある光景には、何百年もの間人に「見られてきた」積み重ねを感じる。私と同じところに立って「ここはこれでよい」とした幾人もの人の目を感じることができる。それは、保守的な田舎だからと言ってしまえばそれまでだが、意味なく新しいものに造り替えることを拒んだ良識なのだと思う。

我が家の脇には古墳があるから、古代から人の住まっていた土地であることは間違いない。裏山に登ると村全体が見渡せ、広々とした平野の向こうに丹生山地が横たわっている。ここに立つといつも、この眺望を愛した千数百年前の人々の「目」がよみがえって、自分と一体となるかのような感覚におそわれる。

「日本の故郷」とか「里山の風景」とか、手垢にまみれた単語を次々と頭の中でやり過ごす。しかしまだうまいこと言葉で掴むことができない苛々と私は長いことつきあっている。この景色の中に自分がいるということの意味を、試されている気がしている。すんなりとした言葉がやってこないのは、私がここでの生活を自分のものにすべくもがいている最中だからだ。

「どうしてこんな大変なところにお嫁に来ちゃったのさ」

遊びに来た友人が酔っぱらって私に訊く。そんなことわかるわけがないじゃないか。いつかこの村での奥様ぶりがすっかり板についた頃、おのずからその答えが出ているだろうけど。

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