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2009 --2014
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久し振りに生漆を注文した。

もう大分前から漆専用の冷凍庫を用意して、そこに漆を貯蔵している。そう、凍結保存になる。もちろん漆の劣化を防ぐためである。前々回の値上がりの知らせを受けた時それなりに買い置きしていた。もう三十五年以上福井の漆精製業者Sさんの漆を使い続けている。覚悟はしていたが、前回の仕入値より1.4倍は正直複雑だ。お孫さんの代に替わって四年ほど経つだろうか。注文時「覚悟はしてますよ~」と伝えたところ、電話口に出た彼は、とても申し訳なさそうだった。


漆の注文の際、産地の現状を聞くのが常だ。「木材が値上がって木地代が上がり、おまけに漆まで値上がったら商品の値を据え置いている産地の皆さんはどうしているの?」と聞くと、「我々もそうですが、利益を少なくして凌いでいるようです。なので後継者が育たないようですね。。」ということ。然もありなん。


「中国産漆の質はどう?」という僕の問いに、いつも正直なお孫さんは「落ちているという声が多いですね。。」。これも、然もありなん。成長の速度が落ちてきているとはいえ、中国の経済成長は7%台。相当の山奥まで行かない限り、以前の様な貧農は少ないのだろう。皆町に出て工員になった方が農業に従事するより遥かに高給取りになれる。中国産の漆は、こういった貧しい農家が農閑期に収穫し生業としていた。
日本が辿った道を中国も辿るのだろう。そうなると育て管理するのが難しい漆は、絶滅危惧種となる日も近いのかも知れない。ただ、僕自身は、現在中国産の漆の五倍から十倍する日本産漆が本気で再興されるようになるか、あるいは中国産が2〜2.5倍のところで均衡点になって安定するのではと推測している。その辺の値段なら、中国山間地で農家であり続けなければならない事情を抱える農民の利と、工員になる利と然程違わなくなるのではと判断出来るからだ。でも、此れも甘いこちらに都合のいい推測かも知れない。 Home index 

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今僕は、過疎化する地域の現状を見て、その速度を何とか落とす策はないものか思案する毎日だ。ただ、この姿勢は、この地に移る前からずっと持っていたテーマで、今に始まったことではない。というのも漆工業界全体が、同じ課題を引きずりながら今日まで来ているからだ。過疎化とは、近代化に適応できない地域の姿と同義なので、漆産業が置かれている現状とぴったり重なる、その意味で解決策も同じ内容を持つと思える。つまり一次産業から二次産業、そして三次産業へと業態を移せない事情を抱える地域、そして職域ということになる。



実は、その処方箋=対策に関してはとうに答えは出ている。一次産業の農産物や、僕らの様な伝統工芸に携わる業態は、付加価値を付けて利益率を上げること、それ以外の対応策はない。機械化して生産性を上げ価格を下げても、「もの」に溢れる今の社会では需要は期待できない。それより、他にはない魅力溢れるものを採算の取れる価格で販売するしかないのだ。

飛び抜けて美味しいお米を作ったり、美味しい果物を目の玉が飛び出るほどの高価格でニーズのあるところに提供すること。それが出来なければ市場から退却するしかない。伝統工芸も例外ではない。

「鳳=風」
新しく仕入れた漆は未だ使っていない。もし、その質が悪かったなら昨年 麗潤館さんの紹介で購入した茨城は大子産の漆をブレンドして使おうと思う。

僕は今まで「乾きの早さ」より「強さ」を優先順位のトップに上げて漆を注文してきた。昔から漆家さんは「乾きの早い漆があります」とセールスしてきたけれど、僕は今まで、一度も乾きの早さを要求したことがない。それより堅牢さの方が重要だと今でも考えている。このままでは、中国産漆に質を期待することはとても難しい状況になってきた。本気で自分で漆を掻くことを考える時期に入ったのかも知れない(運よく、ご近所の方に聞くと、結構漆は自生しているとのことらしい)。

「盬=塩」
昔は、ピカピカ光っている艶のあるウルシは嫌いだった。けれども、ここ最近は上の↑ 椀の様に呂色(黒漆)の艶も良いもんだな~と感じることも多い。朱が好きになってきたこととも関連があるのかも知れない。漆黒の闇と言う位だから、漆の黒は確かに特別な質を持っているのだろう。ただ、ピカッと光っているものは、何となくケバイし品がないものも多い。無駄に主張しているように感じたりすることも確かだ。そして、艶のないマットな方が今の生活空間には馴染む。

1985年............SAVOIR VIVREにて
それにしても、お隣中国の世情が、ダイレクトに日本に影響を及ぼすことが肌で感じる時代になるとは、この世界に入った頃には思いもよらなかった。考えてみれば、それは、40年近く前の話なので世の中変わらない方がおかしい。企業の平均寿命が30年というから、当時存在した大方の企業は、市場から撤退していることになる。

とは言え、中国の事情が、即日本に影響することを踏まえて漆工芸を生業とし続けるとすると、中国産漆に98%依存している今の状況はリスクが高過ぎる。そのことは、どこの産地も認識しているはずだ。ただ、例外なく伝統工芸の産地は、その運営が厳しい。なので、業界で漆の樹を植栽してこれからに備えよう・・・と言ったムーブメントは起きない。全国にある産地は、それぞれ貧しく閉鎖的だ。そして、貧しければ貧しいほど己の内に閉じて行く。結果、様々な情報も入らず益々貧しくなって行く。



僕自身は、鎌倉彫の業界に所属したこともないし、日本漆工の組合に入ったこともない。どうもサッカー以外は群れるのは嫌いだ。というより、所属している市場の位相が重ならないので接点がないと言った方が正しい。鎌倉彫の業界は、お教室の運営、つまりアマチュア産業として回っていたし、今も回っている。とにかく僕は、ものを作ることを生業とすることができたら・・・・というのがこの世界に入った動機だった。
ただ、漆に関して言えば、ここに来て日本と中国との関係が、漆を生産する側から消費する側に替わってゆくのではと考えたりしている。今のところ、日本製の紙おむつや化粧品を買い漁る中国人といったイメージだが、人間の欲望はずっと同じ所に留まっていられず、やがてより次元の高い方へステージを上げて行こうとするのは、中国の富裕層も同じだと思う。

自分たちの文化が、極東の最果ての地日本で、まったく違ったスタイルになって深まったことを、中国の方々が評価する日もそう遠くはないような気がする。それには条件があって、ドイツの様に、先の戦争で中国を始めとする日本が植民地化した国々に「植民地化しようとしたことを我々日本人は、絶対に忘れてはならない」と言い続ける度量がなければ無理だ。その意味で、安倍政権下では難しいので当分は無理かなとも思う。

1987年制作 「KOTOBUKI-JU」
漆器の椀を、一生涯使わずに済んでしまう日本人が殆どになってきた今、敢えて漆工芸に関わることにどんな意味があるのか・・・・・・



それは僕自身、「漆」という前近代の素材が蓄積してきた質の高いリソースにシンパシーを覚えることと、それへのリスペクトから生まれる感情が、経済を超えて存在するということにある。
日本を代表する美術、そして工芸の傑作の中に、漆工芸が燦然と輝くポジションをとっているという事実は、たとえ凋落著しい状況とはいえ、その分厚いリソースを絶やすのは忍びないと素直に思う。そして、出来るならば「今」に沿って再生、存続させることを自分に課して今日まで来ている(ちょっと大袈裟;;)

・・・・・といえば恰好が良いが、どうも自分の無意識を覗くと、物心がついたころから消えゆくものや、消えてしまったものに魅かれる自分がいて、新内流しや虚無僧になりたいと本気で思ったことを覚えている。


本阿弥光悦作 「舟橋蒔絵硯箱」
アンビバレントなのだが、古いものを本気で残そうとすると、その意匠を限りなく「新しく」することで今に息づかせるという、何とも複雑で厄介な作業が必要となる。元来、その時代を表象する意匠は、その時代に生まれた素材を使うのが整合性があり自然だ。その意味で、今「漆」という素材を使うには、ある不自然が伴うので、それ相当の工夫が必要になる。

僕自身が自覚的にやっているのは、今=現代を通底するデザインという思想は何なのかを自分なりに掴み、そのことと日本という物語が紡いできたことの普遍性、そして人類が累々と遺してきた美術の普遍性を加味することで、新しい意匠を捻り出している。なんていうと大袈裟だが、この営為を普段は極めて感覚的にやっている。


感覚だけで通すと持続性もなくなり、自分が続けて来たことを後から引き出すことが難しくなる。その意味で蓄積ができないで過ぎてしまう。自分が何をやろうとしているのか、あるいは何をやって来たのか自覚的でないと表現も深まってゆかない。

こう考えるようになったのは、漆という素材が、同時代的な素材ではないことを、あらゆる場面で突き付けられるからだ。「現代」をストレートにデザインに取り入れてみても、素材が漆の場合、大方陳腐なものになる。簡単に言うと田舎ッペになるのが落ちだ。なので、モダーンを漆という素材で表現するときは、日本の意匠が途切れた前近代まで遡ってみることも必要な時がある。いや、もっと先まで行って還ってくることも多い。例えば縄文とか、先史とか。

尾形光琳作 「八橋蒔絵螺鈿硯箱」
既に終わってしまった素材だという開き直りがあるので、返って自在に過去に遡行し、そこから色んなものを拾ってきては、「今」に馴染ませるよう良く咀嚼したり、反芻したりを繰り返し、何となく今のデザインとして矛盾なく醸成するのを待ちながら創作しているのかも知れない。この辺のところは無意識だ。


この先、漆という素材が絶滅してしまったとしたら・・・・・、その時まで僕は生きていられるとは思はないが、案外合成樹脂で質の高い面白いデザインを生み出しているような気がする。今でも、やろうと思えば格好いいプラスチックの器やオブジェを作れる自信はある。漆工業界は、プラスチックに仕事を奪われたので目の敵にするが、僕自身は異母兄弟だと思っている。みなさん近親憎悪で、プラスチックを反ウルシ、否ウルシとまるで異質なものの様に扱っていますが、生まれた当初は人工ウルシと呼ばれていたくらいで、親戚です。


人は、相手が驚異であればあるほど悪口を言うもので、仕方がないのですが、漆の行く末を思うと、今の内縁りを戻しておいた方が良い様に思うのですが。。


漆の未来に触れていたら、あらぬ方向へ来てしまいました。プラスチックに親和性を持つ僕ですが、漆の作業というか漆の乾くスピードが、そのまま生産性に呼応するのですが、そのゆっくりとした前近代のスピードが、自分にピッタリなので「これっ!」というものは、これからも漆で作ることになりそうです。

今年、いつもお世話になっている会津若松のALTE MEISTERさんが、高度成長期の頃植栽したという10万〜4万本という散在する漆の樹の現地調査が、 麗潤館さんと協同で行われると聞いています。こういう時期なので、是非好い方向へ進んで行って欲しいと願っています。

新しく取り寄せた漆が、思っていたほど質が悪いものではないのにホッとした東でした~。
(ホントお隣中国とは、仲良くし続けないとあかんです)。