井上有一の懸腕直筆
懸腕直筆の凄さをしみじみ感じながら、僕の頭の中をあるイメージが点滅し始めた。難だろうと思ってそのイメージをクローズアップしていくと、それは井上有一という書家が書を書いているところの写真だった。有一は僕が尊敬する戦後最大の前衛書家である。当コラムの「「芸術」批判(5)」でも名前を出し、「書の書き方などクソクラエ」「めちゃくちゃに書け」と言いながら書を書いた人である、と紹介した。

1980年にアートマーカーの海上雅臣さんが編集出版された『井上有一の書』という作品集のなかにその写真が掲載されている。そのことを思い出して、しばらく開いてなかったその作品集を久しぶりに開いて、その写真の載っているページを探した。

写真は3枚綴りになっていて、1959年に、有一がリーダーであった墨人会という書のグループの合宿で、グループの人たちが見ている中で「骨」という字を書いたときに撮られたものだと、説明がつけられている。その写真を見たとき、ああ、やっぱりなと思った。これは明らかに懸腕直筆の動態なのである。


(「骨」を書く井上有一(『井上有一の書』[UNAC TOKYO発行]より))
懸腕直筆の要諦は、腋を開き且つ腋を締める、ということであった。写真では、筆を持つ有一の右腕の腋は完全に開いていて、締まっていない(少なくとも見た目にはそう見える)。が、僕の見るところでは、腋は締められてもいるのである。それは体全体から伝わってくる、異常に緊迫した波動のようなものからそれがわかる。

腋を開き且つ腋を締めるという矛盾を実現しようとする時に身体を貫く緊張感が、ここでは極度に高められている。その極度な高まりのなかに、気が身体の中から腕を通過して大きな筆の先に、あたかも奔流をなすかのように流れ込んでいる。そういうことが伝わってくる写真である。


有一は、「書の書き方などクソクラエ」「めちゃくちゃに書け」と言いながら書を書いた人であり、実際その書は、一見稚拙な、下手っぽく見える書であったのだが、それでも書壇の権威主義から離れて、自らを恃んで生きていけたのは、懸腕直筆という筆の持ち方があったからだということが、今さらながら僕には合点できた。

(「骨」 1959年 (『井上有一の書』[UNAC TOKYO発行]より))
懸腕直筆は、筆の正しい持ち方、あるいはそれによって気が筆先に通るというだけでなく、「気を起こす」という作用も誘発するのではないかと思えるほどである。

つまりそのように筆を持つことによって、肚のあたりに気が生じ、身体内を流れ始めるのである。そうすると、あとはその流れに身を任せればよい。それも身を任せようと努めるというよりは、腕あるいは身体が自然に動き始めるのである。だから恃むものはそういった気の流れである。

ふつう「自らを恃む」という言い方をするが、「自ら」というよりは「気の流れ」に恃むのである。そこが強いところなのである。自分がどこまでいけるかを、意識的な努力としてではなく、気の流れに任せられるというところが強い。

一見むちゃくちゃな書き方をしている。しかし書作の基本ということにはとても忠実な人であったことが、これでわかった。だからこそ「自分」という小さな世界を超えて、遠いところまで飛翔できたのである。

どんなにむちゃくちゃをやっても、一番基本のところを崩していなければ、いずれ自分なりの方法論が開けてくるのである。その意味でも、基本というのはとても大事なことである。ある意味、基本さえやり続けていれば、人生というのはどうにかなるものではないかと思う。酒を飲んで暮らしていてもいいわけだ。
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