今日、川崎チネチッタまで出掛け『バッチギ』(監督:井筒和幸)を観た。

昨日のラジオ(TBS デイキャッチ)で、宮台真司が、ここ十年の内最高の邦画だ!と言うもんだから・・・・・・・・。

C級の下だった。

勿論、B級にはB級の、そして、C級にはC級の良さがある。良い例が『ゴースト』だ。文句なくB級映画だと思うが素晴らしくヒューマンな等級を超えた傑作だった。

『バッチギ』は、監督:井筒和幸そのものなのだ。それ以上でもなく、それ以下でもない。『タモリ倶楽部』に出て酒を飲みながらタモリの作った手料理を「旨い旨い」と言っているのが一番似合っている。

監督ご自身は、「『GO』なんか問題にならんよ!」って仰っていたが、問題なく『GO』の方が優れていました。次元が違います。『GO』には、作品に「気品」がありますし深いメタファーが隠されています。それも押し付けがましくなく、自然で、非倫理的に深い悲しみをも含み、さりとて嫌みなく『在日』を取り上げていました。

だいいち上映した時期が決定的に違っています。『GO』の放映時期には「ヨン様」ブームはございませんでした。「今」と言う時期に「在日」を取り上げることは、興行成績が低くならないだろうことは、小学生でも分かることです。返って観客動員数を稼げるのは、」今しかない!とでも考えて制作したのでは?と意地悪に勘ぐりたくなるくらいです。

           

キャスティングもダメです。皆大根です。勿論、黒沢映画の三船のように格好いい「大根」もいます。でも『バッチギ』の役者は、只の大根です。ちんぴらのキャラや、その暴力シーンの表現は、遠く北野 武に及びません。、

それに、やたら教育的です。過去に日本が、朝鮮半島で「何」をやったのか「お馬鹿さん」のパンピーに「お教え」します式の訓辞が多すぎます。まるでブッシュを批判したマイケルムーア監督の「華氏911」です。監督:井筒が、あまりお勉強をしてこなかったことの付けが露呈してしまったともいえます。彼には、お勉強と無縁な所で映画を作って欲しいです。

       

でも、本当に日本が過去に朝鮮半島で「何」をやって来たかをご存じない方々には、少しは日本の「負の歴史」を知る上で貢献しているかも知れません。

インテリは、極端に「暴力」に弱いです。そこが、インテリ宮台真司のネックでもあります。勿論、彼自身馬鹿ではありませんから十二分にそれを心得ています。

映画館を出るとき「期待はずれ」だったので、チネチッタの前にあったCDショップに入り、前々から欲しかった「ニューシネマ・パラダイス」のサウンドトラック盤を購入しました。厄払いのような気分です。

今、それを聴きながらキーボードを打っています。

「あなたが一生を通じて最も素晴らしいと感じた映画は?」と聞かれたら、文句なく「ニューシネマ・パラダイス」と僕は答えます。

20代・30代の頃は、「二十歳のエチュード」(フランス映画)と答えていた様に思います。でも、今は迷わず「ニューシネマ・パラダイス」と答えるでしょう。

僕らは「在日」を決してヨイショしてはなりません。曇天に疼く古傷のように「脛に受けた傷」の痛みにじっと耐えなければならないのです。それは、ドイツ人が、今もアウシュビッツに代表されるホロコーストという凄惨な過去に苛まれつつ国家規模で厳しく自戒しているように・・・・・・・・・・(参照;COLUMN 『ダッハ』)

決して「従軍慰安婦」を取り上げたNHK のドキュメンタリーに「事実を歪曲しているので、もっと公平な表現を!」と腰抜けで間抜けな政治家達に歴史をねじ曲げさせてはならないのです。

そして、今更ながら「在日」をヨイショしたところで、過去の彼らの傷が癒される訳でもないのです。彼らと同次元で、同じ場所で「葬儀」に参列することは許されないのです。

僕ら日本人は、きついけれども、そのことを肝に命ずるべきです。

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