7月21日              「耳をすませば」

 息子(耕介)の一番好きな宮崎アニメ・・・・・「耳をすませば」を観た。これで何度目だろう?

 息子は、殆どの台詞とシュチエーションを記憶しているので「誰か俺の記憶を消してくれ〜」と言って席を立ってしまった。

 こんな中学生でありたかった..........

 多分、宮崎監督自身のこの時期の理想型が描かれているのではないだろうか。いや、宮崎世代の理想型と言った方が良いかも知れない。

 早朝、月島 雫の家の前で、彼女が顔を出すのを期待して立ち尽くす天沢聖司.........今なら、ストーカー?

 誰しもあんな純な時があったんだよな〜。

 そう言えば中三の時、宇佐美 博子という抜群に綺麗な歌声を持つ目元が涼しい美人の下級生がいた。
文化祭の時は、必ず彼女の独唱を聴くことが出来た。

.......その時僕は、鳥肌が立つのも忘れ「歌手と呼べる存在があること」を初めて知った。

彼女の方も僕を意識していた...かな?(思いは必ず伝わるものなのだ)。

高一の頃、ケガをした彼女を毎朝自転車の荷台に乗せ学校まで送り届ける美談を夢想していた.......

そんな彼女は、もっと程度の良い学校へ入れたはずだが、何と僕の高校へ入学してきた。

彼女とは廊下ですれちがっても、一瞥をして、お互いその瞳の奥の想いを確認しただけで何か浄化されたような気持ちになったが、結局、一度も口を利くことなく卒業してしまった。

 その後、彼女の家は新規バイバスに掛かり気付いたときは引っ越してしまっていた.......。

中学生という時期は、大人でもなく小人でもない、なんとも形容しがたい曖昧なところを生きている。

F・アリエスの『子供の誕生』によると、中世には「子供」という概念はなく、皆「小さな大人」として扱われていたという。それを示す一例として、当時の子供が大人と代わらない服をつけて描かれていることなどを深く検証している。

社会が変化し、家族が変化し、そして学校が変化した今、6・3・3制の丁度真ん中に位置する中学という時期に、世の中が期待する内容は明確ではない。そのくせ要求は大きい。

 そんな不安定で危ういこの時期を、こそばゆいほど見事に宮崎監督は描いている。

 僕にとっての中学時代は、消しゴムでゴシゴシ消してしまいたいような、息子なら「誰か俺の記憶を消してくれ〜」と言いたくなるような時期だった。出来ることならもう一度やり直したいとも思う。多分多くの人は、僕と同じ様な気持ちではないだろうか.......。

 もうじき我が家には、スタジオジブリ発売のドングリのDVDがやって来る。 そう、かみさんが八方手を尽くしてやっと手に入れることが出来た季節限定の代物だ。
勿論「千と千尋の神隠し」付きです。

そのうち「耳をすませば」も加わるでしょう・・・・・・。

P.S.「耳をすませば」の原風景(学校・私鉄沿線・町等)を詳しく探索しレポートしているサイト(Whisper of the Heart)を見つけました。興味のある方は、一度訪れて見て下さい、きっと心洗われること間違い無しです。

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