変革の時 | ||||||||||
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人生の中の転機というのがある。今、僕はその中にいるという感じを強く受けている。子どもたちも巣立つ直前に立ち至っている。これまで家庭をというか子どもたちのことを最優先にして生活してきたのだが、また自分の時間が戻ってくるようになった。 そして、仕事も30年という長い年月の区切りを迎えている。これまでやってきた仕事をまとめるような本の刊行も大詰めを迎えている。しかし、その本には盛り込めない内容が、まだまだいくらも残っていて、これから、それらをさらにまとめて集約するような仕事をやってみたいと考えている。そして、その指導者を求めて自分に投資してみようと考えている。父親も鬼籍の人となり、年が明ければ一周忌だ。 |
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息子は大学受験が始まる。部活動ばかりやってて心配したものだが、3年になって人が変わったように勉強し始めた。彼もまた転機を迎えつつある。そして、彼の高校のPTA役員も来年の5月までだ。 適当に与えられたルーティンワークをこなせば済むかと思いきや、ここにきて学校も大きな転機を迎えそうな雲行きになり、敏腕校長と二人三脚で走り始めることになった。楽しい学校生活とともに学力も着実に備わる学校になるという理想に向かって。 なんでも、やればやっただけのことはあるもので、学校の空気が少しづつ変わってきているような感じは悪くない。大きな歯車がゆっくりと前進する。そのためには、最初のエネルギーが必要だ。そして、動き始めれば止まることはない。まだまだ、いろんな問題も残っているけど、なんとかなるし、なるべき方向にしか進まない。 |
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振り返れば、それなりに辛い事もあったのだが、思い出されることはと言えば楽しかったことばかりだ。それがおそらく人間の記憶のシステムだろう。辛いことを鮮明に記憶して再現していたら女性は生涯に一人しか子供を産まないということをどこかで聞いたのか読んだのか。 息子の大学受験を見ながら、大学もブランド校とノン・ブランド校とでどれだけの違いがあるのだろうかなどと考えている。自分が受験に際してどれだけの競争力を身につけたのかを計る尺度として倍率の高い学校は、それなりに意味があろう。 |
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常滑市民俗資料館 |
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しかし、それが人間の能力ではないことも既に社会が認めてしまった事実で、プライドばかりが高くて仕事に使えない人材を輩出する傾向も指摘されている。そして、入試の在り方も多様化しているので、一般入試を経ないで合格する大学生が国立大学でも少なくない現状だ。 一方でノン・ブランドの学校は生き残りをかけて必死に学生の指導を行う傾向にある。そして、研究者の能力と教育者の能力はイコールではないのだから、学生がやる気を出せばそこそこに成長する。 |
往復書簡
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そんなことを考えながら、息子には頑張ってもらって自己肯定感を強めてほしいのだが、自分はノン・ブランドの大学の教授の元に通って、自分の仕事をまとめつつ、長い友人でもある教授の学生さんたちを育てるお手伝いもできればと考えているのだった。 さてさて、この閉塞感に満ち満ちた時代にあって、人はいかに人生の未来を設計するのだろう。その基盤を形成するのだろうと問うべきか。ハイ-スペックな人間ばかりでもないのだし。それでも、少しづつ成長するようになっていくのだろうか。適材適所という形の中で。 |
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