アート志向と用途志向――「使う」をめぐって

古い布を裂いて糸の代わりにして織る裂織が中高年の女性を中心にブームなのだそうです。裂織専門の公募展もあって、2002年に第1回を開き今年第4回展をすでに終了しています。それを主催している「全国裂織協会」のFさんから私のところに久しぶりの連絡があって、原稿を依頼してきました。

Fさんの話によると、第4回展を終えて、協会はいま大きな曲がり角にきているというのです。会員数380余人というのは工芸関係の団体としては大きな方だと思うのですが、公募展の開催方法などで経費が予想以上に嵩んだこともあって、運営的にも厳しい状況にあるし、制作に対する会員の考え方も多様化してきて、今後どういう方向でまとまりをつけていくか、なかなか難しいところにきている云々。それで、このあたりで一度原点にもどって考え直してみたいというようなことでした。

こちらからの質問も含めて何度かメールのやりとりをしましたが、その中にはこんな文章もありました。

「全国裂織展を考える場合ですが一方に、タペストリー、額絵などアート作品が、応募作品の三分の一あります。全国展ではこれが、出展者にも来場者にも大変感銘と勇気と喜びを与えています。特に第一回展の時には、タペストリーショックがはしりました。
 その一方洋服類は第2回展以後ぐんとふえ、今応募作品のやはり三分の一を占めています。
 バッグ、帯などは第3回展で増えました。
 洋服、ショールなどを制作していた、教室も開いている作家が、今年は仙台や関西から応募しており、入会された方もいるのですが、部門が違う作品にとても刺激を受けると感激されました。」

こういうのを世の中では「うれしい悲鳴」と言ったりしますが、多くの人から期待をかけられているだけに、裂織協会としてはこのあたりでなんとか新機軸を出していきたいということではないでしょうか。

Fさんの悩み(?)とは裏腹に、「全国裂織展」は、創作意欲としては非常に活発な状況にあるようです。活発であるだけに分子運動が激しく、創作の内容が多様化していくのです。それをどう整理して、現代の「裂織」表現の筋道をつけていくかということでもあるのでしょう。そこでひとつひっかかっているのが、「アート志向と用途志向」の関係をどうとらえるかということのようでした。

この問題は「長く使って愉しむものたち」と共通するところがあります。「長く使って愉しむものたち」にもアート志向と用途志向の対立意識のようなものがまだ残っているのです。それは「使う」という言葉に対する解釈の違いとして出てきます。「使う」ということを、道具や用具を使うといった狭い意味で捉える意識が工芸の側にも美術の側にもあるようです。そのことは「私は使うものは作らない」とか「私は人に使ってもらえるものを作りたい」といった言い方に現れてきます。

しかし、この世に使えないものはない、というのが僕の考え方です。同じように「裂織」という方法は、表現志向か用途志向かの二者択一的な判断を超えたところで、各人の求めるところにしたがって駆使されていけばいいのではないかと思います。それが現代における「裂織」の可能性の追求ということなのです。そしてそれが「長く使う」ということの意味でもあると思います。