「公」というよりは「絆」

 2回は「私」と「公」ということで書いてきたのだけれども、話の発端は、財務学者の金子勝さんなんかが提言してる「新しい公共性」を立ていくといったことを、現代の工芸論のフィールドの中にどう取り込んでいくかを考えてみようとしたところにあった。ところが途中である言葉にひっかかって、「公共性」とか「公」というよりはそっちの方が気分的にもうひとつしっくりするような気がして、そちらの方に話を転換しようとしていたのだった。
 その言葉というのは「絆」というのである。「絆」という言葉は、映画でも小説でもテレビドラマでも、いろんなところでしょっちゅう出てくるので、ちょっと手垢がついた感じもある。家族とか、特殊な体験を共有した人たちの間での、切っても切れない血や心のつながりのようなものを「絆」というのだが、現代はそういった要素が薄れてきているので心的な世界ではかえって一層強く求められ、再認識されていくといったあたりの人情論のニュアンスで引き合いに出されてくる言葉である。
 僕としては「絆」という言葉をあまり正面きって振り回すようなことはしたくないなと思ってはいたものの、そういう気持ちを超えてこの言葉に向かい合ってみようという気にさせられる出来事が最近あったのである。出来事というと少し大げさかもしれない、ある人の話のなかにその言葉が出てきたというにすぎないのであるが…。
 その人というのは森田珪子さんといって、岩手県の奥州市というまちに住んでいる人である。岩手とか東北とかを軸に、女性達の間で継承されてきた衣食住遊祭などにまつわる生活作法を取材したり体験したりした事柄を、1年に1度『女わざ』という冊子にまとめて発行して来た。その活動は30年近く続けられてきていて、お歳も70代にのっておられる方だが、まだまだ元気で、先日も上京されて即席のワークショップやミニ講演会を催したりされた。その話の中で「絆」という言葉が出てきたのである。
 『女わざ』はひとつの会の形をとっていて、毎年10人前後のメンバーが集まってはパッチワークの布団がわや裂織りのタペストリーなどを共同制作している。その様子を森田さんはこう話した。
 「たとえば昨年は10人ほどが4回ほど集まっては丸1日一緒に過ごし、半纏をお互いに助け合って作ったんですけどね。今思い出すと、ほんとに一人一人、人に話せないこともみんな見えるんですね。見えちゃうというか、付き合わなければ分からないこと、そしてすべてを赦せる、いろんなことがあるじゃないですか、マイナーなこととか、他人には話せないようなこと…。そういったこともお互いに分かってしまって、その上でのお付き合いができるわけです。そういう人間関係を持てるということを改めて感じます。」
 こういう人間関係の在り方を、中世の能の集大成者であった世阿弥の「後見の見」という言葉を引き合いに出して説明された。それは「一人一人、人に話せないこともみんな見える」までに他者との付き合いを深めることによって自分の後姿が見えるようになるということである。そしてそういう段階にまで深めていかれた人間関係を「絆」といい、森田さんは「女わざ」の活動を続けてきたことは、そういった人間の「絆」を求めていくことに他ならなかったというわけです。「後見の見」というところまで深められていった人間関係というのは、「公」と「私」という二元論のちょっと硬い印象を超えて、より地上的な「共同性」といったことをイメージさせます。そのような意味で、「公」というよりは「絆」かな、というふうに思えてきはじめたというわけです。
 「工芸」という文化の在り方は、人間の絆ということにも深く関係しているのでは?ということです。