「私」性と日本的造形

前回の「公共性」の話に絡んでもう少し書いておきたいのは、“私”性ということである。前回の最後に書いたように、“公共性”と“私”性とは深い関係がある。しかも、一方を自覚することが他方を自覚することにつながり、逆に、一方を軽んじることは他方を軽んじることにつながる、という関係である。そういう捉え方をすると、公共意識が徐々に溶解してきている現状は、“私”性もまた曖昧になりつつあるということを意味している。“私”性が曖昧になっていくということは、“私”が国家的思惑のなかに絡めとられていくということであって、最近、経済格差論議に絡めて、戦争を志向するニートの若者が増えてきているなどといった話題も、そういった現象の一端であるように思える。

ここで言う“私”とは、西洋的な意味での「自己」ということを必ずしも意味しない。むしろ、江戸時代とかあたりまでには確かにあったにちがいないと思わせるところの、いわばとても日本的な“私”である。僕はそういう日本的な“私”を、特に江戸時代以前の絵画のなかに感じ取ってきた。

浮世絵の広重とか歌麿とか北斎とかすごくかっこいい。日本的水墨画の池大雅とか曾我蕭白とか白隠とか長澤芦雪とかもかっこいい。伊藤若冲もかっこいい。僕は昔から、江戸時代の絵師という人々にミーハー的にすごく憧れていたのだが、吹けば飛ぶような1枚の紙に自分の世界を叩き込んで、世界と対峙しているというような構えがとても好きなのである。政治的なイデオロギーとか、思想的にどうであるとか、そういうこととは関係なしに、「オレはオレだ」と言って、体を張って突っ張ってるところが好きである。そういう生き方を貫いている軸のようなものを、僕は“私”性と言うのである。言い換えれば彼らは徹底して“私”的なのである。

もっとも、江戸期の絵師のかっこよさが“私”に徹しているところから出てきていると了解できたのはつい最近のことである。ある文章を読んで、なるほどなと思ったのである。その文章は、日本の近代美術史の研究者で東京藝術大学の教授である佐藤道信という人が書いた『明治国家と近代美術』という本の中の、〈「画」と漢字〉という章の中に見つけた。以下、引用しておきます。

「“公”から“私”化への作業が“和様化”あるいは“日本化”であるとするなら、“私”化されたものこそが、実は最も日本的なものと言えるかもしれない。だとすれば、日本のあらゆる美術品の中でも、最も生活の実態にあふれた、その意味で“私”的な浮世絵や工芸品が、欧米で日本の“芸術”品以上の人気を博しているのは日本美術を考える上で、逆説的な象徴性をおびてくる。欧米人は、確かにそこに最も“日本的”なものを見ていることになるのであり、しかもそれは、欧米人の嗜好の問題としてかたづけられない日本美術の側の本質的な構造にかかわる問題ということになる。日本における“芸術”理念が、西欧から移植され、建前として“公”化された理念だとするなら、日本美術に対する“芸術”論議が、どこかしら実態から離れた空虚を感じさせるのも、あながち故なきことでもないのかもしれない。それは、実態から抽象された論理ではなく、“公”化された外来の論理を尺度としていることになるからである。」

こういった“私”性を歴史の上で遡っていくとどこまでいくのか今のところ僕には確定ができないが、少なくとも江戸初期の俵屋宗達とか長谷川等伯とか古田織部とかにははっきりと認めることができる。日本的造形のひとつのメインストリームがこのあたりにあると僕は思っている。