「食から立て直す」

「食から立て直す」ということの個別版として、僕自身のケースをとりあげてみよう。

住まいは東京都の三多摩地域にあって、元々は武蔵野の丘陵地であったのが、今は山林も農地も急速に宅地開発されて、分譲住宅地が次々と生まれている。

3年前にこの地に引越ししてきてからでも、周囲の景観はずいぶんと違ってきた。住民もみな域外から移ってきた人たちがほとんどと思われるが、それでも元々の地主系の人たちが営む畑地も点在している。近所に自家野菜を直売している家があり、我が家で食する野菜系はほとんどこの農家の恩恵にあずかっている。


僕のパートナーである人は、食べ物に対して以下の原則のようなものを立てて食生活を営んできた。すなわち

1.     食材は国産のものしか使わない。

2.     原則的に旬のもの・天然のものがおいしくて栄養がある。

3.     おいしいものはなるべく単味で味わう。

4.     栽培法はなるべく有機系のものを選ぶ

5.     化学アミノ酸、人工着色剤・防腐剤を使用しているものは極力食べない。

僕自身は現代人の一人として、食に対しても自分の欲望の赴くままに雑食(商品として生産される食べ物は何でも無頓着に食べてきたということ)してきたので、パートナーと同居を始めた当初は、食習慣の違いにいささか閉口することがあった。しかし、路地で育てた旬の野菜は、だしを使わず単味で調理して食べてもすごくおいしいということには気がついていたので、ここを足がかりにしてパートナーの方針にだんだんと馴染んでいくことができた。

以前は、食品の使用原料を記載した欄など見たこともなかったが、今やその欄を見て、化学アミノ酸、人工着色剤・防腐剤を使用しているものは自然と買わないようになってきた。というのも、そういった食品が少しもおいしくは感じられなくなったからである。


上記の方針で食事計画を立てると、食べる物がかなり限定されてくる。たとえば「国産もの」で安価なものとなると、たんぱく質系統のものなどはかなり限定されてくる。

実際、牛肉はほとんど食べることがなくなった(1年間に1回あるかないか)。代わりに豚肉が主流となるが、実はその豚肉が牛肉におとらずおいしいということがわかってきた。世の中の人もそのことが少し分かりかけてきたようで、NHKの「ためしてガッテン」でも、豚肉も牛肉と同じような調理法で牛肉に負けないぐらいおいしく食べられるということをインフォメーションしていた。


僕はおいしいものはいつまで食べても飽きない方なので、野菜なども、旬の時期には毎日同じものが続いても苦にならない。スーパーの無味無臭の野菜を食べることを思えばはるかにマシである。この意味では、食べる物が限定されるということは、僕の場合はさほど問題にはならない。

歳をとってきたということもあるのかもしれない。しかし、食べ物のおいしさということは食材のいのちにつながっているという感覚に目覚め、その感覚が歳ごとに深くなっていく。

そしてそれこそが「食事を摂る」ということの意味になってくる。だから食材は限定されていても、その内容は豊かなものとして感じられ、そしてある意味での「欲望が満たされる」という感覚に至るのである。