「健康」について(続)
前々回に書いた「「健康」について」の続きを書いてみよう。
僕はこれといった健康法をこの歳になるまでずうっと持たないできた。しかし10年ほど前(40代の半ば)に毎日徹夜でコンピュータに向き合うハードな仕事を1,2ヶ月ほど続けたことがあって、この時にたまたま別の事で呼吸法というのを少し齧っていたことがあって、それでどうにか身が持ちこたえたという経験がある。

その後半年ほど呼吸法を続けたところ、それまで弱かった内臓系がすっかり丈夫になっていることに気がついた。
それから現在まで呼吸法からは遠ざかっていたが、身体がピンチに置かれるような場合にはこの呼吸法があるという意識はずうっと頭のなかに持ち続けてきた。今まではそれを使わないですんできたのである。

呼吸法といっても大層なことはないので、ただ深く長くゆっくりと呼吸するだけである。
10年前の時はこれを20分ほど続けた。すると10分ほどで身体があたたまってきて、発汗作用が生じた。それだけである。

このことを一人の友人に話すと、彼は東京の汚れた空気の中で深呼吸するのはかえって不健康ではないかと嘲ったが、それは間違いである。呼吸法というのは身体の中の空気を入れかえることではない。

それは「気」という非物質的なはたらき、ある種のエネルギーの流れを吸ったり吐いたりするのだということがこの友人にはわからないのである。少なくともそういう気持ちで呼吸しなければいけない。
そういう気持ちあるいは考えを持てるかどうかというところが、呼吸法を前向きに活用できるかどうかの分かれ目である。


そういう僕とても、「気」のはたらきについて実感するような経験はこれまでほとんどしてこなかった、唯一、上述したこと以外には。ところが、ここ数日のことだが、深呼吸を再開せざるをえない状況が生じてきた。

僕のパートナーは29年間機織りの仕事をやっていて、来年は30周年ということで何か記念的な催しをやろうかと話していたところが、着物を二百数十反織ってきたその長い労働の蓄積と、五十肩と更年期障害といった大方の人々を襲う成人病と、そしてこの冬に開いた個展のために無理を重ねて仕事をしたということが祟って、腰と肩と肘と膝に深いダメージを受けてしまったのである。

そしてこの春先から、整形外科や整体院を何軒も訪ね歩いてきたのだけれど、有効な治療法が施されず、痛みは徐々に増してきて、夜も眠れないほどになってきた。

それで僕も、マッサージや指圧でその場の痛みを少しでも抑えてあげようとするのだが、その方面のセンスはほとんど持ち合わせていないようで、はかばかしい効果が得られなかったのである。

他方で彼女は整体関係のことについて書かれた本を通して有益な情報を少しずつ蓄積してきているのだが、その過程で呼吸法に基く身体治癒論に出会って、二人で試してみることにした。

僕がやるのは深呼吸を2,3度してから掌を患部にあてるだけである。すると彼女が言うには、僕の手が異常に熱く感じられて、それで暖められて痛みがひいていくのだそうである。

自分では自分の掌が熱いとは感じられないので、ちょっと半信半疑なところもあるのだけれど、やはり「気」のはたらきということがあるのかなと、少し実感し始めている。

実はこの7月は、僕自身いささかハードなスケジュールの中にあって、ここをクリアできるかどうか多少の不安感があるが、意外と身体は元気である。
なんでかなと思っていたのだが、考えてみると、パートナーのために始めたほんの2,3分の深呼吸が僕自身の身体をも支えてくれているのであった。