「芸術」批判(5)......民の一人であるラジカリズム
僕が親しくお付き合いさせていただいた年配の方々の中には世の中に名の知れた人も何人かおられるが、特にビッグネームとしては、書家の井上有一さん(個人)といけばな作家の中川幸夫さんがいる。
 
井上有一さんは、僕が30歳の時に季刊工芸雑誌『かたち』を創刊するにあたって、「かたち」の字(このコラムに入る入口の字です)を書いていただいた。中川幸夫さんとは同郷(小学時代から高校時代の間、僕の実家と中川さんの実家は2kmぐらいしか離れていなかった)ということもあって、東京在住中はなにかと目をかけてくださった。僕の見るところでは、二人はヴィジュアル系アートの領域では戦後最大のアーチストであると思っている。

井上有一さんは書道の世界では戦後最大の前衛書家という評価を受けている。中川さんは天才的な前衛いけばな作家である。お二人にお近づきになる前は、僕にとっては全く雲の上の人で、展覧会場などで姿を見かけることがあっても、とても自己紹介することなどできなかった。それが、井上さんの場合は知人の仲介で「かたち」の字を書いていただくことができ、中川さんの場合は、何かの席でたまたま隣り同士になって声をかけられたのが始まりである。

知り合ってみると二人ともずいぶん気さくなシャイな人柄で、ナイーブなほどに作品の感想を求めて来られたりするので、とても恐縮してしまうことが何度もあった。暮らしぶりもとても質素で、井上さんは神奈川県の田舎町で庶民的な一軒家にご家族4人ほどで住まわれていたし、中川さんは六畳一間のアパート暮らしをされていた。時々訪ねていくと、窓の外に洗濯物が干されていたりして、洗濯も自分でされているのかと、考えてみれば当たり前のことながら、妙に感心したり可笑しがったりした。ちょっと見にはどこでもいるようなフツーのおじさんと変わりなかった。

それが、こと表現の世界に入ると突出した存在になる。なんぴとも追随できない独自の世界を開陳するのである。表現者として唯一無二な人間に劇的に変化する。

井上さんは「書の書き方などクソクラエ」「めちゃくちゃに書け」と言いながら書を書いた人である。「書の書き方」などというスマシたものとか、書壇という業界のシステムとかを否定したり、断固として闘うというところに井上さんの書の在り様があった。他方、中川さんもいけばな界の家元制度を否定していくところに自らの「いけばな」の在り様を求めていったのである。

井上さんも中川さんも処世の方法は庶民性に徹していたが、創作の世界では個人性に立て籠もり、その内的世界をとことん掘り下げていった。庶民的(あるいは民衆的)というのは単に生き方がフラットであるということだけでなく、書壇や家元制度といったヒエラルキズムに対して自覚的に闘ったという意味で反国家志向的であるということを意味している。つまり、反国家志向的という意味で民衆的であり、他方、美の求め方において突出的であるという意味において個人性を貫いている。

言い換えれば、原理的には「個人」として屹立しながら、その個人性の基盤を「民衆性」というところに置いている、と見ることができる。こういう在り方を「民の一人であるラジカリズム」と僕は呼んでいる。このラジカリズムを貫いている芸術家を、僕は尊敬することにしている。ものごとを正しく見るということは、このタイプの芸術家にしかできないからである。