親鸞聖人
  今日本は、オーム真理教のサリン事件以来の宗教の危機にある。

サリン事件は、本気で宗教に救いを求めていた人々(特に若者)の逃げ場を奪った、宗教にとって致命的な事件だった。カルト、あるいは新興宗教が生まれるには、それだけの理由がある。で、今、自民党と旧統一教会との深い関係が取り沙汰されている。

安倍元首相を狙撃した山上容疑者は、若くして気付いていたと思うが、僕自身は、この歳になって初めて気づいた。それは、現世は地獄だということ。僕自身の地獄度?は、大したことないのだが、両親を始め周りを見渡すと、ちょっと耐えられそうにないなぁという地獄を抱えて生きておられる方が相当いらっしゃる。
 
  「宗教はアヘンだ」と言ったのはマルクスだが、その真意は「宗教にみんなすがるのは、現実が悲惨だからで、宗教はその現実の裏返しにすぎない。だから、現実そのものを変えないと根本的な解決にならない」という意味。つまり、現実の世界は程度の差こそあれ悲惨だということ。

この「アヘン」、イメージとしては悪役そのもの。だが現代医療の現場にあって無くてはならないものになっている。つまり、癌患者の終末医療にあって、痛みを含めたその苦痛から解放させ、かつ精神を安定させるために、アヘン(モルヒネ)は今もって重要な薬剤になっている。

同じ意味で、地獄の様な日常にあって、浄土や天国、そして幸福など、本来あり得ない超越的な日常を、心的な幻想領域として提供することによって、一時でも地獄を忘れさせる力をもつ宗教は、この世が地獄であればこそ人間にとって重要な世界になる。
 
   宗教にしろアヘンにしろ、言ってみれば、精神世界であれ現実生活であれ、元々現実逃避というか、明かな幻覚なり幻想を取り込むことで刹那的な安堵を得る営為なので、薬にもなれば毒にもなる際際で裏腹なもの。故に、多くの戦争には宗教が絡んでいる。

そして、父親が熱心な仏教徒だったこともあり、僕自身宗教には親和性が高い。実際、高校進学を止めて牧師になろう!って本気で考えてお袋を泣かせたこともあった。今考えると、その時の我が家は明らかに「地獄」だった。でも、渦中にいる本人は、そこを地獄だと意識したことはなかった。

当たり前だが、毎日が地獄だとしても、ひとは、その中に僅かな喜びなり安らぎを見つけて凌ごうとする。でも、地獄を埋め合わせるだけの「何か」を見つけるのは難しい。その「何か」が、法内だったら宗教だったり、アートだったりするが、法外だったら薬物依存だったりギャンブル依存だったりする。
 
  今回、宗教を取り上げる契機となったのは、安倍元首相の狙撃事件によって安倍さんを取り巻く多くの自民党議員が、特に選挙に於いて統一教会のサポートが常態化していたということが明らかになったことにある。教団が、政治のお墨付きをもらって布教すれば勧誘はし易い。そして、政治家は組織票を期待できるので教団と近付く利がある。
 とはいえ、可成り悪どいカルト教団であることは分かっていたはず。

政治家というのは孤独で選挙に落ちたならただの人になってしまう。これも地獄なのでカルトを知りつつ選挙協力を受け入れる。受かっても落ちても地獄には変わりがない。
 
  霊感商法によって金をむしり取るカルト集団の謳い文句は「地獄に落ちる」というフレーズ。日本の信者が、教団に納めた寄付金は1300億円を超すという話は驚きだが、それは信者がこの世は日々地獄だと感じていることを物語っていることに他ならない。

僕のところに勧誘に来る日蓮系の「顕正会」にしても、キリスト教系の「ものみの塔」にしろ、彼らが開口一番口にするのは「悔い改めないと地獄に落ちる」という決まり文句。そもそも、毎日が平穏で、大した問題もなく過ごしていたら宗教に近づいたりしない。

「あなたは何故入会したのですか?」と聞くと、みなさん尋常じゃない辛い体験をなさっていて、まさに地獄のなかでもがき苦しんだ末入会なさっている(宗教二世は除く)
 
   何れにしろ、生きていることが虚しいとか辛いとか実感することをフックにして宗教に関心をもったり、逆に宗教に関係づける環境が整ったりする。同じ意味でカルトもそこにつけ込む。

そもそも宗教とはどういったものだったのだろうか...... と考えていた矢先20年以上視聴し続けてきた videonews.com で 5金スペシャル映画特集『映画はカルトをどう描いてきたか』が企画された。ここで宮台真司が宗教について触れている内容が秀逸だ。そして、時期を同じくして、彼が今回の安倍元首相の狙撃事件に関して朝日新聞に投稿した記事も併せて読むと、宗教、そしてカルトの現在が炙り出されて学びがある。リンクを張りましたので参考にして下さい。

一部紹介すると.....

安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件は、日本社会に衝撃を与えた。社会学者の宮台真司さん(63)は、1995年に明るみに出たオウム真理教の一連の事件など、宗教と社会の問題を長年論じてきた。宮台さんは、山上徹也容疑者(41)が凶行に至った社会的土壌に目を向け、「寄る辺なき個人をいかに社会に包摂するか」を考えていくことが大切だと指摘する。
その月の5回目の金曜日に、神保哲生と宮台真司が特別企画を無料でお届けする5金スペシャル。今回は映画がカルト問題をどう描いてきたのか、をテーマに、カルトに関連した日本と海外の映画を5本取り上げた。
   
 

――なぜ事件が起きたのか。

 これまでの報道によると、容疑者が安倍氏を狙った動機については、本人の供述から政治的な主張にもとづくテロではなく「個人的な恨み」との見方が強まっている。

 実は、大正・昭和初期の日本で続発した政治家らの要人暗殺にも、不遇感を抱いた個人が引き起こした事件が少なくなかった。背景には都市化や経済格差などがあり、事件を起こした当事者の多くに個人的不満と統治権力に頼らない自力救済の意識はあれど、世直しのために統治権力に政策変更を迫るテロを実行するという意識は薄かった。

 ――容疑者が犯行に至る動機を抱くような社会的背景があるということか。

 宗教法人「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)に入信した容疑者の母親が破産した2002年から凶行に至るまでの20年間は、多くの若者が就職氷河期の負の影響を受け、労働・雇用市場で非正規雇用が拡大し続けた時期に重なる。

    
AERAより
  こういった状況の中、先日日蓮系の顕正会の方が勧誘に来られた。いつもの様に、南無妙法蓮華経と唱えて日蓮宗に帰依しないと地獄に落ちますよ・・・・以外は社会状況の認識等、とてもまともでお話していても嫌な感じはなかった。

聞きたいこともあったので丁度よかった。それは、オーム真理教のサリン事件があった後もそうだった様に、宗教の勧誘までいかなくても宗教を語ることすら難しい状況で、特に新興宗教を語るのは難しくないか?ということ。

会報と新聞をお持ちになっていらした方は揺らぎもせず、「オーム事件のあった後も私たちは変わらず布教を続けてきた」と力強くお話を続けた。あぁ本当に地獄を見たんだなぁと。。頂いた新聞には、池田大作の蛮行や安倍元首相の大罪を糾弾していて極めてまとも。ただ Wikipedia でみただけでも日蓮正宗や創価学会との確執もあって内部は大変そうだ。
   
日蓮
   帰りしな「顕正会員は色白になれる」と繰り返されるので、今でも十分に色白ですし、これ以上美しくなる必要もないのでは・・・と伝えると「ニンマリしちゃう」とぼそりと呟きながら帰られました。

宮台真司氏の言う「寄る辺なき個人をいかに社会に包摂するか」だが、一体いつの世がこの様な包摂を具現化したのだろうか。親の世代をみても地獄だったような気もするし、コロナ禍も、そしてコロナ後も変わらず地獄は続くように思われてならない。故に宗教って重要なのですが、難しいです。

宗教って何だろう・・・という問いは、この後もずっと続きそうです。