(線刻小岩偶)
 
30年以上、ずっと探していた画像にやっと出会えた。



ここ数週間、図書館で資料をとり、ネットで古書を探しまくっている。一昔前だったら、探し当てるのに相当難しかった古書を、今はネット(「日本の古本屋」)で検索を掛けると、あっという間にリストアップされる。こういった分野では、ネットは飛躍的に使い勝手が良くなってきている。お陰で、この一週間で昭和三十年代に出版された秀逸した美術全集を、大分探し当て廉価で手に入れることが出来た。



そして、この岩偶の画像だが、35年以上前、僕が鎌倉彫の修行当時に工房の棚の上に埃まみれに積まれていた美術全集のなかに掲載されていた。初めてこの画像を目にしたときの衝撃は相当なもので、退社後もずっとこの”自然石”の写真を忘れることはなかった。



今回手に入れた『原色日本の美術1(原始美術)』を開くとと、それは「岩偶」と表記してある。ということは”人型”と言うことになるわけだが、当時も今も、僕にとっては、それは人型という具体的なフォルムと言う前に、自然石に刻まれた明確な「人間の表現の痕跡」としてある。そして、これが全ての僕の表現の根源になった。
 

陶胎漆器...........1982 年 『工雅』(錆び漆展)










(底)













「落書ブローチ」 1981 年 『工雅』 第一回個展).........................初めての個展でした
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上の画像は、僕が作家としてやっていこう!と決意し、当時青山学院大学の附属高校の裏にあった漆器専門店『工雅』さん(三年ほど前に閉店しました。残念)で生まれて初めての”個展”をもったときの陶胎漆器の鉢と落書ブローチです(画質が悪くて済みません;;)



下手っぴですが、表現の原点に立ったところで制作したい・・・・・という熱い思いのこもったものたちです。既に”錆びうるし仕上げ”ですし、今も現役の”落書”が出そろっています。ということは、35年以上も僕は、落書し続けていることになります
(木胎の木地は高く買えなかったので、笠間の研究所に頼み焼き〆の陶器を図面を送って作って頂きました)
 
 
思えば、上の作品も当時のもので、厚手の和紙にポンチで一つ一つ穴を空け、その当時のコンピュータのパンチカードを模し、その上にナツダーというアメリカから特注で輸入した絵の具を使ってシルクスクリーンにした落書を和紙の薄紙に刷ったものをのせています。



当時は、当たり前ですが作家としては食えず、若かったのであっちこっちにアルバイトをしに出掛けて生活費を稼いでいました。なので、この作品は完成度を上げる余裕がなく、この一点しか完成させることが出来ませんでした。このことは、自分の中でずっと引っかかっていて、今でももう少し作品として完成度を上げ、数十種類くらいは制作してみたかった・・・・とちょっぴり残念に思っています(今からでも遅くはないのですが..........)。



当時は、現代美術と工芸が自分の中でも分離していましたが、ここへ来て自然と自分の中で統合してきているような気がします。
20代・30代の頃感受したものが、30年以上掛け熟成して、ここへ来て作品として”かたち”になってきているようです。
 
 




































落書香合..........1981 年 『工雅』 第一回個展)











(蓋)












(身)
 
  上の作品は、4・5年前、まだ店を閉じる前に『工雅』さんに寄った際、台所か何かに置いておいたら油でベタベタになったので綺麗にして欲しい・・・・とオーナー(忘れてましたが、オーナーがお買い上げ下さったのでした)から預かったときに撮影した「落書香合」です。30年近く経っているので朱漆が鮮やかに発色しています。  
   
  上の小さな香合は、友人(博古堂の同僚吉野君)に手伝ってもらいながらも、自分の中での予定数が初個展までに間に合いそうもなく、三日間一睡もしないで気絶しながら徹夜して半べそかきつつ仕上げた傑作です。あと三日に迫った個展に、何とか間に合わせたい・・・・と願った末に、時間を掛けなくても評価に耐えるもの・・・と、ウルトラCで発想した「落書」でした。確か当時のTBSの部長さん(何課か忘れました)がお買い上げ下さったと記憶しています。  
 





















(「金彩落書椀」..........1985年.SAVOIR VIVRE個展)
 
  『工雅』さんの初個展から三年後、舞台を六本木SAVOIR VIVREに移し、展示空間も広くなったことを受け、ますます自由に落書は展開していきます。線刻も大分洗練してきているように見えます・・・・・



何だか、やっていることの中身が今と殆ど変わらないことに少し萎みますが、よく考えると、作品の完成度は、当たり前ですが三十年以上掛けないと完熟醸成しないということになります。



冒頭で紹介した岩偶ですが、作られたのは縄文時代の初期と言われています。石器時代の残余がのこり、表現の元始が見て取れるもので、そこに深く魅了されます。僕は、この縄文からの風を受け、表現への啓示とし今日までそのエネルギーをもらっています。



今日は、縄文の表現について深く語ろうと思いましたが、自分の表現の出自について触れているうちにスペースが埋まってしまいました。結局、「落書シリーズ」の出自ということになってしまいましたが、また改めて縄文時代の表現について触れてみたいと思います。


そして、実は、もう一冊30年以上図書館でしか見られなかった貸し出し禁止の古書をゲットしたのでした。(つづく)
 
   
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