厨子制作後の断想(1)
2006年6月、『今日の厨子とは』というテーマを持って、銀座厨子屋にて「新しい厨子の提案」を試みた。

このお話があったのは、東京生活研究所の山田節子さんからで、かれこれ二年の月日が経つ。現在、会津若松に会場を移して引き続き厨子展は開催しているので、最終的な結論を出すには少し早いが、この二年『今日の厨子とは』というコンセプトを暖めてきたので、その過程と制作の中で感じた様々なことを整理してみた。

(「古文字厨子」 front)
厨子の制作は初めてのことだったので、無我夢中でイメージを醸成し、そして、それを変更し修正を繰り返した。

結局、五点が完成し、未完のものが二点ほどになる。
 
製作時は、ただ自分の感覚に沿って漠然とした観念を、とにかく具体化するのに心血を注いだ。
制作後に、自分の作り上げた『厨子』を見返してみると、自分が何をしようとしていたかが少しずつ見えてくる。

(「古文字厨子」 side)
恐らく一貫して通していたコンセプト、それは、製作中には気付くこともなかったことだが、「既成の厨子(仏壇)」の概念を排除し、まったく新しいと思える厨子を制作したい、というものだったように思う。

当然、伝統の否定になるわけだが、そこには変な自信があり、その裏打ちは、恐らく僕自身が鎌倉彫出身であるということが、そうさせたと今になると思える。つまり、僕らの先輩が仏師だったという事実が僕自身の古層に、まるでDNAのように横たわっている感覚があるのだ。僕の表現の無意識に、そういった日本の美が深く沈殿し、重く僕自身を規定している様に思えてならない。

(「古文字厨子」 inside)
この感覚が、伝統を平気で無視しているかのように振舞うことを許しているように感じるのだ。

そう、一見自由に表現しているかのようにみえても、それを下支えしているのが、どんなに否定をしてみても、その呪縛から逃れられない最早血肉になった「伝統」なのだと気付いている自分がいるのだ。まるでその自分が、どだい伝統なるものから逃れられる訳がないと、高を括っているかのように。
欧米には「イコノロジー(図像解釈学)」という学問領域がある。代表的な研究者はパノフスキー(ドイツ・ハノバー生まれで、1930年代〜1960年代に掛けてアメリカで活躍)で、その基礎になったのが「イコノグラフィー(図像学)」になる。

この学問の研究対象は、主に「イコン」で、素材は中世の宗教画になる。この学問は、解釈学であると共に、歴史学でもあるので、宗教画が繰り返し描かれる中で、描かれる事柄が、やがて様式美に至る経緯も研究対象となる。
つまり、キリストやマリアが、どのように配置され、その周りに何がどのように配置されるかが、宗教画を読み解く上でとても重要であるということが述べられている。同時に、その配置が様式化してゆくことも研究対象になっている。

様式美に関しては、その内容の深さも密度もキリスト教に劣らないと思われる仏教だが、それらがもつ意味を欧米の「イコノグラフィー(図像学)」にあたるような深い解釈をした形跡が、残念ながら日本には見当たらない。
確か、キリスト教の描く地獄より、仏教の描く地獄の世界の方が、比較にならないほど深く豊かだと吉本隆明氏もどこかで触れていたのを覚えている。

もしかすると、仏教が日本に及ぼした影響を徹底して読み解く術は、これからの研究に託されているのかも知れない.........

イコノロジー研究〈上〉    ちくま学芸文庫
パノフスキーが生きた時代は、丁度、構造主義が生まれる時代とも重なっていたことで、その志向が、クロード・レヴィ=ストロースミシェル・フーコーと同じ問題意識を持っていたことが推測される。

それは、欧米の宗教画も、その時代を規定し貫徹する全体知(エピステーメ)があり、人(描き手)は、その全体知から基本的に自由になることはないことをいっている。

そういった背景から「今」に視点を移すと、僕らにとっての全体知は何かということになる。今日それは最早、停滞期、あるいは衰退期に入ったといえる科学的思考になるだろう。

日本が近代化を目指した時、既に仏教は幕を降ろした訳だが、外圧によってもたらされた近代化ゆえに、即座に人々の無意識が非仏教に転化するはずもなく、その後も100年以上にわたって風俗や習慣となって生き続けている。

しかし、二十一世紀に入った日本は、高度資本主義社会(消費社会)に移行し、その生活様式も大きく変わってきている。この社会を根底から支えているのが、善悪は別として科学的思考であることは自明だろう。

(「落書き錫研き厨子」 部分)
前置きが長くなってしまった。話を厨子にもどそう。

僕らの生きている時代を、根底から支える全体知が科学的思考だとすると、いかに無意識を引きずるとは言え仏壇(厨子)も、この全体知から逃れることは難しい。僕らの無意識も、時代と共に現実の世の中に強く影響される。仏壇も例外とはいえない。

伝統を引きずりつつ、ゆっくりと「今」へと移行してゆく。特に今の社会は、様々な伝統的社会を有無を言わさず急激に変える方向へと進んでいるように思える。

もう既に都市の中心地はもちろん、都市周辺でも新たに建てられる住居(特にマンション)では、仏間は勿論、下手をすると畳の間もない状況だ。
 こういった現実を直視しつつデザインをしていくと、嘗ての様な厨子や仏壇に施された様式美は、そのリアリティーをどんどん失って行かざるを得ない。

そういった都市での生活実感を下に、今回はいろいろ試行錯誤してみた。

「他界とは、此岸(この世)のユートピアを描いたものだ」(吉本隆明)・・・・・

・・・・・という言葉を頼りに、デザインが単なる表層の装飾ではなく、必ずある理想を描いている象徴的なものであることを肝に銘じて自分にとっての「今」を表現してみた。

先ずは、自分の持つ仏壇のイメージを出来るだけリセットするように努めた。繰り返すが、これは自分の無意識に、深く伝統的な日本文化が根付いているといった強い自覚があったからだと思う。

限りなく伝統的な厨子から遠ざかり、そこから逆に「厨子とは?」という問いを自分にぶつけると、意外にも「昔の人達は、そこに一体何を見ようとしていたのか」が気になり始める。やはり、そこにはユートピアが描かれ続けたに違いない。

(つづく)