工芸を活性化するには、今何をすれば.......?などとボンヤリ考えていたところ、お隣中国と韓国が大変なことになってきた。ヨン様ブームも、春の淡雪のように儚く消えてしまうのだろうか。

変わり行く工芸と、極東アジアの問題は、勿論地続きなのだが、そんな大きな括りで話し始めたら時間がいくらあっても足りない。

日本の工芸ばかりが大変なのではなく、日本そのものも大変なのだが、どうやら中国はもっと大変なことになっているようだ。

今回のデモの発端は、例の天安門事件でアメリカに亡命した中国人のNGO法人と同じく在米の韓国人のNGOがインターネットで呼びかけたことにあるという。
彼らの言い分は、日本の歴史教科書検定に関して、日本が公正さを欠くというものと、日本の常任理事国入りに反対する署名をネット上で集うというものだった。
 只、中国側のインターネット環境もお寒いもので、全ての情報が入手できるインターネット本来のあり様は存在していない。
例えば、「天安門事件」などと検索しても、検索結果は「ゼロ」と出るよう政府機関が謂わば「検閲」をしている。

とは言うものの、日本政府の世界戦略もお寒いもので、宮台真司曰く「アメリカの穴舐め政策」に終始する、最早「死に体」となった小泉政権の外交戦略の無さ、特にアジア外交の無策には、驚くばかりだ。
こう言う僕自身も4年前?の小泉政権発足時は、本当に自民党をぶっ壊すのでは・・・・・?と期待した一人なのだが。

思い返せば、中国側から送られたラブコールは、中国新幹線の入札の誘いを始め幾つかあった。全て小泉さんの靖国参拝でオジャンになり、日本と同じ敗戦国のドイツに持っていかれた。
自民党がよく口にする「国益」を考えたらたら莫大な損害だ。

昨年、わが国の中国への輸出額が、アメリカへの輸出額を超えた。そして、中国からの輸入額も過去最高になっている。
最近、質の高い情報とその確かさに驚かされている「神保・宮台、マル激トーク・オン・デマンド」 を仕事をしながらよく聴く。このインターネットラジオでは、昨年の10月の段階で、今回の中国の出来事を既に予想し言い当てている。なので今回の中国での「事件」は、起こるべくして起きた(これからも起き続けるだろう)出来事といえる。

中国の「愛国政策」も限界だが、日本の歴史教育とアジア政策もこれまでで良い筈が無い。

A級戦犯を決めた「東京裁判」云々はさておき、そのA級戦犯にされた方々に、全ての戦争責任を預けることで、日本国民と天皇の責任は、免罪されるという手法を実は、当時アメリカがとった。
本来ならば、日本国民と天皇に責任が無かった筈もなく、それを「A級戦犯」というメタファーでご破算にしてもらったというのが事の真意だ。

戦後の動乱の中、食うや食わずのわが国は、そんな面倒臭い「筋書き」を読み解く余裕など微塵もなく、今日まで来てしまった、小泉さんも・・・・。
中国は、ドイツの国連常任理事国入りを承認している。勿論、アジア唯一の常任理事国である中国が、国連常任理事国入りを目論む日本を好ましく思うはずが無い。そして、EU各国も違った意味で中国と同じ見解をもつ。詰まり、日本の国連常任理事国入りは、事あるごとに、国連におけるアメリカ票が2票分になることと同じ意味を持ってしまうことだと。

これを、宮台曰く小泉さんの「アメリカの穴舐め政策」と言う訳だ。

仰る通り。

アメリカとのBSE問題を抱えた日本は、お隣中国・韓国からも反発を受け、それこそ八方塞だ。

どうすんだろう?中国の反日教育に全ての原因を収斂させて、この難関を乗り越えていけるとでも思っているのだろうか。
それにしてもドイツは見事だ。

バブルが弾け「へたれた」今の日本に、ドイツと同じ戦争責任の取り方をしろ!といったところで始まらない。今の日本に、そんな根性は無い。必死でナチスのホロコーストと南京大虐殺では、規模が違うと繰り返すのが落ちだ。
ドイツ(ダッハ)でのことが、遥か遠いほかの惑星での出来事だったように思い出される。

多分、日本人は、本当に優しい国民性を持っているのだろう。
自分たちが犯した過ちが、あまりにも大きく無惨だったため、まるで善良な人間が、成り行きで人を刺して呆然と立ち尽くしているように、「これは、なかったことにしよう.....」と決め込んでしまったのだ。
 それほど近代戦争というものは、大きな負のエネルギーを殺戮へと転化する構造を持っている。
この責任を一個人が担うなどということは、強靭な精神をもってしなければ土台無理な話だ。従って、この負の遺産をシステム化する新しい歴史教育など島国日本に施行出来るはずも無い。
国内産業の空洞化と引き換えに、中国へと工場を移転し続ける日本企業が、今後障害なく交易を続けたいなら、この「負」としっかり向き合わなければならない。

果たして、そんな勇気と英知とエネルギーを日本は持っているんだろうか・・?と訝しく思わなくもないが、ここは腹を括って事に当たるしかない。

グロバリーゼーションとは、こういった事態と常に向き合っていくということを言うのだろう。