『土曜日のタマネギ』(作詞:谷山浩子、作曲: 亀井登志夫) |
ゆらゆらスープの海を 小舟のように漂う 行き場のないカケラ まるでわたしの気持ちみたい つめたい電話のせいね 火を止めるのも忘れた 踊りつかれたでしょう ため息ついたポトフ
おなかすかせた恋人を 待ちわびていたのに
どうして おまえとわたしだけ こんな目にあうのかしら
胸の残り火ごと 全部捨てたと思ったのに お鍋の底にタマネギ ひとりでしがみついてる イヤヨ、アキラメナイ! ...たぶんこれがわたしね
いらないオンナになりました ころがる床の上
いっしょに笑ってくれないの? いつもの土曜日なのに
tururu tu tu wah・・・・・・・ |
ちょっと大袈裟ですが、人生の方向を変えてしまうほどの力を持った「曲」に一生の内、何度か出会います。 小学時代は、中村八大/永六助コンビとアメリカンポップス、中学時代は、もちろん Beatles 、高校時代はボサノバとJazzでした。 そして、その後の僕の人生の方向を激変させた曲は?・・・・・・ 意外と思われるかも知れませんが、実は既に紹介しました’80年代の谷山浩子さん作詞の『土曜日のタマネギ』(歌手は斉藤由貴)であります。 何故、『土曜日のタマネギ』なのか、今にして思えば、その理由は、いくつか思い当たります。 ちょうどその時期、文化を創造する生産軸が"Culture"から”Sub Culture”へと大きく移ったことがあげられます。僕自身相変わらず”Culture”の権化である吉本隆明の著作に耽溺していたので、”Culture”にまだどっぷり浸かっていたわけですが、感性の方は、ある限界(男文化の)を感じていましたし、当時吉本氏もご自身の路線変更を意識しておられ執拗に文化の主役が”Subculture”へと移ったことをいろいろな場面でお話ししていました。 「ポトフ」という、それまでいわゆる「主婦」に独占され妙に閉鎖された(今では考えられない)キッチンの「鍋」の中のできごとが、実は世界経済や世界情勢を「動かしている」=「強く影響を与えている」こと。 こういった言い方はちょっとおかしいかも知れないので言い換えると、世界で起きている新聞の一面を飾る出来事とキッチンの「ポトフ」の中のできごとが、「価値」として同次元で語られるに値すると初めて気付かされた「曲」だったわけです。(どうも夢中になると地が出て硬い表現になってしまう;;;;;)。 ゆらゆらスープの海を 小舟のように漂う・・・・・ 行き場のないカケラ まるでわたしの気持ちみたい・・・・・・まるで僕らの人生そのものです。 さよならニンジン・ポテト 宇宙の果てへお帰り 胸の残り火ごと 全部捨てたと思ったのに・・・・・・・出家の気分? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 谷山浩子さんは、すばらしいアーティストだと思うのですが、超資本主義のいまの世の中では、作家として生きてゆくことはとても難しいことのようです。残念ながら日本の現実は、ヨーロッパなどに比べ、アーティストにはとても厳しい環境のようです・・・・・・。 |