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| 最近、夢日記なるものを付けている。よく夢はモノクロで見る方が多いと聞くけれど、僕はいつも総天然色だ(この言葉、死語か?)。 昨日見た夢・・・・↑ どうも視界の縮尺が(写真で言ったら画角?)子供の頃に戻っていて、概ね世界が広く大きい。自己像も卑小で弱い感じ。 場面は横浜の山手に近い風景で、高台から俯瞰している風。まあ、子供は鳥観図が好きなので。。 ↑の図は、ハンガリーの荒涼とした丘陵の画像ですが、ここまで殺伐とはしていなくて下の画像と二で割った感じって・・・分かりますかね。 |
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| ・・・・で、この丘陵をゆっくり下ってゆくと巨木が束で横たわっていて、そこから煙が上がっている。近づいてみると炭の様な残り火もある。雨除けになる屋根付きのバラックの下に、中東系と思われる人たちが数人で談笑している。その中の一人が、弦を弾くような、いかにも中東だという短調の音色の声でビヨ~ン・ビヨ~ンと鼻に抜けるように歌っている。 この夢は、夢判断として何を物語っているのだろう・・・・。夢に中東の人々が出てきたのは初めてだし、意識下では、トランプとイランの終わりそうもない戦争があることも関係しているのも確かだろう。丘陵も日本の風景にはない乾いた感じだったし。。 |
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| 夢と言えば、とっさに出てくるのが「銀河鉄道の夜」の<鳥を捕る人>のシーン。特に、チョコレートのような少しべったく<黄いろな雁の足を、軽くひっぱりました。するとそれは、チョコレートででもできているように、すっときれいにはなれました>という表現は、唸るくらい見事な夢を象徴するシーンだ。 先日見た動画で、「鳥を捕る人」で賢治が何を言いたかったのかに触れていたところが成程と頷いたので紹介すると。 ・・・<鳥を捕る人>がスッと消える前に残した言葉、「ああせいせいした。どうもからだに恰度合うほど稼でいるくらい、いいことはありませんな」・・・これは狩猟採集民族としての縄文人の精神が根底にあるということ。つまり、サスティナビリティー(持続可能性)を基盤にした節度ある生活スタイルの隠喩ではと。 |
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![]() 京都清水寺 アテルイ・モレ(蝦夷首長)顕彰碑 |
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| 実は、平安時代の初期まで東北には蝦夷(縄文人)がしっかり土地に根付いて住んでいて、中央集権を目指すヤマト朝廷の服従の命を退け、度重なる朝廷軍を追い払っていた。朝廷側は「蝦夷は、ヤマトに従わない未開の野蛮人」と蔑視し、結局、桓武天皇により征夷大将軍に任じられ坂上田村麻呂によって蝦夷は征服されてしまう。 稲作によって生まれる貧富の差と紛争を嫌って、縄文人(蝦夷)は「文化」は幸せと裏腹なものとして抗った。「文化」に居る側は、それは野蛮人と決めつける。そういった背景のある東北岩手に賢治が生れ落ち、「銀河鉄道の夜」を遺したのは偶然ではない。 |
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![]() 「清水寺縁起絵巻」・・・坂上田村麻呂軍蝦夷征討の図(奥州市埋蔵文化財調査センター) |
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| 夢に戻る。 丘陵の夢から目覚めて二度寝した後に見た夢・・・ 小学校当時の二人の息子が、何かに追われるようにして部屋に入って来るなり30cm四方の小さな黒いビニールの袋の小さく区切られたブロックの中に潜り込んで声を潜めている。身長が120cm程ある子供が、3~4cm幅のブロックに入れる訳ないのだが、これが夢だと矛盾なく入れて仕舞う。 これからは戦争の時代が来るということは確かとして、小さなブロックに潜り込むことの意味するものは何なんだろう。 前回の「一神教と多神教」でも触れたように、トランプのせいで、類としての人間のもつ残虐性と向き合わざるえなくなった。お陰で過去の歴史において人類がやらかした蛮行をたくさん知ることになる。元寇もそのひとつ。 |
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![]() ![]() モンゴル型鎧兜 |
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| 蒙古軍、武具を見る限り強そうだ。彼らは先ず、壱岐、対馬に上陸し村民を虐殺した上に、手の平に穴を穿ち、これを貫き通して船壁に並べ立て干し肉にしたという。 しかし、博多で向かい打った九州および全国から動員された約4万〜6万人以上の武士は、14万の蒙古軍と勇猛果敢に交戦し「神風」と呼ばれる台風の援護もあり勝利します。 弘安の役(1281年)の戦力と被害派遣兵力: 東路軍(約40,000人)と江南軍(約100,000人)を合わせて約14万人の大軍、軍船数千隻 戦術と戦闘: 日本側が築いた石塁(防塁)に阻まれて上陸に手間取り、約1ヶ月にわたり膠着状態の激戦が続く。 被害: 7月下旬に鷹島付近で発生した猛烈な暴風雨(台風)により軍船の多くが破壊され壊滅的な打撃を受ける。 戦死者・溺死者が数万人〜十数万人に及び、数十人の捕虜を除いて残余の兵士の多くが失われた。 |
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| 胸糞悪くなってきたので話題を変えます💦 夢には夢想というのがあります。その夢想といえば、最近SNSやマスメディアにも頻繁に出ている自称左翼・斎藤幸平氏が『人新世の「黙示録」』を出した。まぁ普通の感覚で言ったら夢想と人は言うかも知れません。けれども、同じ様に各メディアに露出する論客エミン・ユルマズ氏も「トランプ後は極左が来る」と述べています。嘘だろ~って思われるかも知れませんが、僕は当たっていると思います。<大分前に「人新世の『資本論』 」を読んで で彼に触れています。> ここ数年、Mr.fuji from japan や日本好きの外人(ニック、ムイムイ、年年、ポーちゃん、やないも、おしゃべりジョージ、タントリス等々)の動画を観て来たけれどアメリカはもちろん、イギリス、フランス、イタリアが、治安を始め移民問題、物価高、格差、人心の想像を超えるほどの荒廃で、これなら斎藤幸平氏が言う暗黒とは言え、新しい解釈の社会主義の方が今ある資本主義よりましだと思えます。 |
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| ここでマルクスに触れる余裕はないのでショートカットすると、僕ら日本人に一番身近な例をだせばいいのかなと。それは縄文人の生き方にヒントがあります。彼らは基本私有財産は持たず、資源は全て今で言うコモンズで集落の共有資産であり、その採り方もサスティナビリティ(持続可能性)に沿ったもので、必要以上に採ることはなく次の季節や他の仲間にも行き渡るように自制的なものだったと思われます。そして様々な問題は、合議制(複数の民主的な話し合いで決議する)を旨とし中央集権を目指しませんでした。ざっくり言うと、マルクスの共産主義の理念は、まさしく縄文人の生き方そのものと言えそうです(ネイティブインディアンは、北ルートで渡った縄文人では・・・という説があります)。 ・・・で、AI に聞いてみました・・・ 僕:マルクスは、当時勃興した文化人類学のフィールドワークによってネイティブ・インディアンが個人資産を持たず、すべての資産はコモンズとして共同体の共有資産でありサステナブルな運用をしていたことにインスピレーションを得て共産主義を提唱したのでは・・・ AI:非常にするどく、歴史的にも現在進行形で熱く議論されているポイントです。 [1] 結論から言うと、マルクスが「最初に共産主義を提唱した(1840年代)」直接のきっかけではありませんが、「晩年のマルクスが共産主義の未来像をエコロジーやサステナビリティの観点から深める(1870〜1880年代)」上で、まさにその通りの決定的なインスピレーション源になりました。 [1,
2] マルクスの思想における、文化人類学(ネイティブアメリカン)との関係の真相は以下の通りです。 1.
提唱した当初(1848年:共産党宣言) マルクスが20代〜30代で共産主義を提唱した段階では、先住民の社会構造はまだ深く研究していませんでした。 2.
晩年の大転換(1880年前後:民族誌ノート) しかし、マルクスは50代以降、自分の理論に行き詰まりを感じて猛烈な軌道修正(研究)を始めます。その中で出会ったのが、当時勃興した文化人類学、特にアメリカの学者ルイス・ヘンリー・モルガンの著書『古代社会(1877年)』でした。 [1,
2,
3] モルガンは、北米の先住民族イロコイ族(ホデノショニ)などのフィールドワークを基に彼らの社会を報告していました。マルクスはそれを読んで激しい衝撃を受け、何百ページものノート(通称『民族誌ノート』)を書き残しました。 [1,
2,
3, 4] マルクスがそこから得たインスピレーションは、まさに次のような内容です。 |
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| 実は、 AI の丁寧な解答はまだ続くのですが、大分本題から離れてしまったので、この辺で夢のテーマに戻ります。 エーリッヒ・フロムというドイツ・フランクフルト派の思想家がいます。彼は「Dream Language(夢の言語)」 という夢を紐解く概念を打ち出しました。フロムによれば、夢は日常の論理的な言語ではなく、象徴(シンボル)の言語で語られます。夢の中では、感情や願望、不安、葛藤などの内的体験が、人物や風景、動物、出来事といった象徴へと姿を変えて表現されます。つまり、夢は「暗号」ではなく、人間に共通する象徴的な表現形式なのだと。 フロムはフロイトやユングの両者を参考にしながらも、一方に偏りませんでした。 フロイトのように、夢を抑圧された欲望だけの表現とは考えない。 ユングのように、普遍的な元型だけで説明するのでもない。 夢は、その人の生き方や倫理、人間的成長を映し出す創造的なメッセージでもある、と考えました。 フロムはさらに、「夢の言語」は夢だけではなく、神話・昔話・宗教・芸術・文学にも共通する象徴の言語だと述べています。だからこそ、夢を理解することは、人類が古くから共有してきた象徴の世界を理解することにもつながると。 |
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![]() エーリッヒ・フロム |
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| 実は、上のフロムの「Dream Language(夢の言語)」 の解説は、僕が AI に問いかけた解答です。おおよそ60年前の浪人中に読んだ『夢の精神分析
忘れられた言語』の記憶をたどって AI に聞いてみました。あれから60年。夢に関して、もう少し深められたような気がします。 僕が今まで学んだ知見の中では、最も信頼できる夢の構造に関する論述は、吉本隆明の『心的現象論序説』になります。ただ妄信するのも危険なので、ここで最先端の「夢」に関する科学的な見地を AI に聞いてみました・・・・ 現代科学では、夢は「無意識の象徴」を読み解く対象というより、脳科学・認知科学・睡眠医学の立場から研究されることが主流になっています。ただし、心理学や精神分析的な研究も完全になくなったわけではなく、互いに補完し合う形になっています。 現在の研究トレンドは、大きく5つあります。 1. 夢は脳が記憶を整理する過程で生じる 2. 感情を調整する働き 3. 「脅威シミュレーション」説 4. 創造性との関係 5. 夢を「読む」のではなく「測る」 |
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![]() NEMURY..... より |
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| 興味深いのは、現代科学は**「夢はなぜ生じるのか」**という仕組みを解明しようとする一方で、吉本隆明は「夢が示す人間存在の根源構造」を考えました。 現代科学:夢のメカニズムを研究する。 吉本隆明:夢が可能になる存在の構造を探究する。 という違いがあります。 これはもう夢に関する個人的な関心ごとが、「夢の科学的解明(特に脳科学)」にあるか、あるいは「夢のもつ意味」にあるかによると思われます。僕は、脳科学にも興味はありますが、それ以上に人間にとって、そして、自分にとっての夢のもつ意味に強い関心があります。故に、どんなに脳科学が発達しても、夢はフィジカルな電気信号のやり取りから疎外された心的営為と考えます。嘗て、解剖学者の三木茂夫が指摘したように、僕らの「こころ」は、植物系に由来する自律神経系が深く関与していて、なおかつ月や太陽を始めとする外界(宇宙)の影響もうけつつ構成される。夢は、そういった「こころ」の表出から疎外された心的領域であるがゆえに、ひとにとっても、そして、何より自分にとっても深い関心のよぶところです。 |
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| では、最後にとっておきの夢を・・・ 実は、僕は根っからの出不精で、その意味で旅行も好きではありません。旅行好きの方は、タモリさんの様に時刻表を眺めるだけでも楽しいはず(必ず二冊買うそうです)。ただ、いざ出たとなると行った先々で、その地を味わい尽くすことは誰にも負けません。 阪神淡路大震災のあった年、僕はドイツで個展を持つことになり初めての海外旅行をしました。もちろん飛行機もその時が初めてでした。フランクフルトに着いて切符をどう買うのかも分からず右往左往してました。開催地は、レバークーゼン。やっとの思いで着いたはいいものの片言の英語を喋るのみで日本語など通じる訳がありません。何とも心細い毎日が続きました。 で、毎晩、数年前に亡くなった親父が夢に出てきたのです。親父さんは癌で亡くなったこともあって、それまで夢に出てくるときは大抵布団に横になっているのが常でした。ところが、ドイツでは全く違っていて凄く若くて明るく元気なんです。先の大戦のPTSDの暗さは微塵もありません。毎回冗談を言っていた気がします。 ある晩、というか朝、いつもの様に夢に出てきたのですが、いつもと違った出立なんです。藍染の長めで厚手の法被を纏って「どうだ凄いだろ。これは祭りの晩に三度喧嘩に勝たないともらえないんだぞ!」と自慢するのです。へ~非暴力主義の親父さんがねぇと。。 で、そのことは、すっかり忘れてその晩、ギャラリーのお嬢さんのフィアンセに誘われお隣ケルンサッカー場にサッカー観戦に連れて行ってもらいました。そのあとレストランで食事に招待されたのですが、天井には日本で言うネブタ祭りの様な賑やかな作り物が下がっていて「あれは何ですか?」と聞いたところ、今日はケルン祭だと・・・そう、親父さんはドイツに来ていたんです。 その晩、いつもの様に親父さんは夢に出て来たんですが、何か寂しそうなんです。で「ヒデ君(僕のこと)、そろそろ還るよ」って言うんです。「えっ、還っちゃうの!」「ああ、そろそろ還らないと」、「そうかぁ、親父さんも忙しいからなぁ。分かったありがとう!」そう言って分かれました。 その日から僕は、やたら元気になって、お隣デュッセルドルフの美術館やダッハのフォロコーストなどを電車や路線バスを乗り継いで、分からないドイツ語を感で聞き分け何の苦も無く観光をし続けました。この後、ミュンヘン、ベルリン、ローマ、フィレンツェ、ベネチア、ミラノと凡そ二か月近い有意義な旅は続きます。 おしまい |
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