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正月
いい映画だった。

食あたりで、することがなかったので映画でも観るか・・・と「トッケビ」の14話、15話に涙し(何十回観ただろうか・・・)、つづいて「猟奇的な彼女」に涙し(何十回観ただろうか・・・)、行き着いたところが「あんのこと」、「愛なのに」、「ナミビアの砂漠」と河合優美の演技力に打(撃)たれた。はっきり言って「愛なのに」はB級映画だと思う。でも、主人公二人のやり取りが不思議と面白く、そこだけ繰り返して何十回と観た。もっと言うと、河合優美が他の登場人物全てを食ってしまっているのも爽快だった。

・・・で、いつもの様に食事をしながら prime video をポチッたら「ゆきてかえらぬ」がトップページに出てきた。もちろん飛びついた。余り期待していなかったこともあってか思いの外よかった。
ただ、長谷川泰子に関しては全く描けていない。つまり、精神的に病むということが何を孕むのか、そして「病む」ことの普遍性として、「病む」ことが創造性の亜種だということに行き着いていない。そこが浅い。本来、ひとが精神的に病むということはクリエイティブな営為だった。そこに掠りもしていない点が不満だ。

でも仕方がないのかなぁとも思う。一般的に、精神的に病むことをクリエイティブな営為とは考えられていないのも事実であるし。。
本業の漆工芸は、座業が基本で手作業でもあるので耳は空いている。なので作家になってこの方ずっと「ながら族」(これ死語か?)でやって来た。ある時は音楽、ある時はラジオ、そして一番多かったのは講演や講座の録音を再生することだった。それは今も変わらない。なかでもよく聴いてきたし今尚聴き続けているのが「吉本隆明183講演集」(ほぼ日)になる。

このところ聴いているのが以下↓↓↓↓
「生きること」について
喩としての聖書─マルコ伝
『源氏物語』と現代――作者の無意識
小林秀雄と古典
小林秀雄を読む──自意識の過剰
異常の分散――母の物語
言葉以前のこと――内的コミュニケーションをめぐって
中原中也・立原道造――自然と恋愛
...... ets

今の状況もあって邦画「ゆきてかえらぬ」に被る講演が多い。

邦画「ゆきてかえらぬ」を観て感じたのは、日本の近代文学史上燦然と輝くご三方の愛憎を映画として撮ってみたいという誘惑が動機としてあっただろうということ。このことは、とてもよく分かるとして、その切り口というか視座をどこに置くかは可成り難しいはず。

そもそも、1対1で成り立つ男女(男男でも女女でも構わない)の対幻想が、トライアングルで重なっている関係って、最早自己愛なんだか自己を破壊する営為なんだかも分からず、相手を好いているんだか憎んでいるんだかも分からない生理と精神が混濁した当事者にとっては地獄に落ちた様な態。それもフィクションではなく実際にあった話を映画化するっていうことは無謀でもある。返ってフィクションとして描いた方がリアルだし真に迫る様にも思う。

泰子役で主演の広瀬すずも、何をどう表現したらいいのか苦悶したのではないか。。最近の女優さんは余り良く知らないので長谷川泰子のはまり役が誰なのか思い浮かばないのだが、ちょっと前の女優だったら寺島しのぶがしっくりくる様に思う。ただ、こういったディープな人間模様が今的でないことは確かなので演ずる側も難しいかなと。
小林から見て、中也と同体と思える泰子。中也から見て小林と同体と思える泰子。泰子から見て中也と同体に見える小林。三者は、それぞれ一体の身体しか持たない存在だ。それゆえそれぞれに引き裂かれる。ひとの持つ対幻想とは、かくも厳しく閉じられるもの。ひとがひとに持つ恋愛感情は、それ故排他的になる。嫉妬の根源だ。対幻想がなければ嫉妬など生まれない。

お互いに、それぞれ相手を尊重し、その価値を認める故、これらの感情と矛盾する対幻想なるものを、どうにもコントロール出来ないことが三角関係の地獄を生む所以になる。邦画「ゆきてかえらぬ」は、そのことを少し炙り出していた所もあった。ただ表向き一夫一婦制をとる社会にあっては、三者で対幻想を共有することは出来ない。吉本さんじゃないが、三者三様に死ぬか破局を受け入れるしか手立てがない。その意味で映画の製作は難しい。何故って、二時間程でこの難しいテーマを扱って表現として成立させなければならないからだ。まあ、不可能だ。
94年前『婦人画報』にも登場していたということもあって、今回婦人画報が、泰子役の広瀬すずにインタビューしていたので、ここに紹介すると・・・

婦人画報 ──どういうつながり方でしょうか?

広瀬──3人とも、3人の誰かをフィルターに入れて相手を見ているんです。中也が泰子を見る目にはそこに小林も映っているし、小林は泰子を見ているようで、泰子の奥にいる中也を追っている。そして泰子は小林と自分の間にいる中也を見ないようにして、小林にピントを合わせているんですね。外から見たら間違いなく歪んでいるのに、三角形が崩れない。演じていて面白いなと思いました。

なかなかに鋭いと言ったら広瀬すずに失礼だが、ちゃんと見ているなぁと。
 
 
三者を演じた役者たちは、広瀬すずにを筆頭に熱演していて感心したが、キャストとしてどうかと問われたらちょっと首を傾げるかな。。特に、実際の小林秀雄に直に会っている僕としては、もっと理知的で冴えわたった頭脳をもち、且つ静かに懐にドスを呑んでいる様な佇まいをもつ役者であって欲しかったし、泰子役の広瀬にしても、熱心さは伝わってきたものの容姿を超えた泰子の美しさを演ずることは出来ていなかったと感じてしまった。

今という時代が、どんどんライトな人間関係に移行している中、恋愛も表向きスマートにこなし、地獄の様などろどろの関係になってお互い致命的な傷を負う前にリスクヘッジすることを賢くこなすのが今の若い世代のスタイルなのだろう。だとしたら尚のことノスタルジックに回帰した役者を配して欲しかったかなぁ。興行、つまり収益を考えたら、今旬の役者を使わざるを得ないのかも知れないが、そこは難しい選択だ。良い作品を遺すことと、持続可能な映画作品を制作することは、必ずしも両立しないのが世の常。ただ、三者、特に歴史に埋没しかけた泰子を表に出した功績は評価したい。それは、中也や小林の価値や、彼らが表現したことの意味を再評価することに寄与したことになるからだ。
 
 
お仕舞に、宮沢賢治の遺した言葉を例に出して吉本隆明が述べていた様に、異常さや精神が病むことの中に表現の萌芽があるということ。そして、それは人間が何故表現を必要とするかを解く鍵があるということも忘れてはならない。そのことは、以前「長谷川泰子 (未だに結構なアクセスがあります)で言い尽くしたので、そちらを覗いて頂けたら幸いです。

では、では。
 
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