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三角関係・・・それは今では死語では。。

このところネットをググっていると頻繁に邦画「ゆきてかえらぬ」がヒットする。僕自身が中原中也や小林秀雄、そして長谷川泰子を話題に出したりしている履歴を google 様はしっかりリサーチなさっているのだろう。とはいえ、今時三角関係などという近代の遺産を取り上げることにどんな意味があるのだろう・・・・。

漱石を筆頭に、三角関係は近代文学の柱になってきた。その訳としてよく言われるのは、明治維新によって近代化を志向した日本が、それまでのアジアとしての封建制と、西洋の近代化を外圧として受け入れたことによる謂わば自身の「分裂」を統合しようとする足掻きだと。

つまり無意識としての東洋日本と意識としての西洋が常に引き裂かれている現実。あるべき自分、本来の自分、そして現実の自分という三者の矛盾が三角関係のメタファーとして描かざるを得ない根拠だということ。

妙本寺境内・・・・「江の島・鎌倉ナビ」より
ちょっと前にテニス仲間のミニコンポを修理したところ、その音質の良さに驚き、ならばとメルカリで中古のミニコンポをゲットし、おまけにテニス仲間からご近所のハードオフに掘り出し物が沢山あることを知らされ古本を売るついでに出掛けて DENON のスピーカーをゲット。早速手持ちのCDを聴きまくり、飽きたのでYouTubeでお気に入りの JAZZ を終日聴きまくっていたらこれも飽きて、FM放送でJAZZ。これは放送時間が限られているので行き着いたところが「ほぼ日 吉本隆明183講演集」。

風邪をひいてしまったということもあって「聴く」元気というかエネルギーが枯渇していて音楽はきつかったというのが実相。

でその講演の演目は「中原中也」。もう何百回と聴いてきたのでエネルギーを使わなくてもすんなり届いてくる。

妙本寺境内
で、三者三様に傷ついた果てに中也は、小林に最後の詩集を鎌倉は妙本寺の境内で託した後、故郷の山口に帰ってゆく。確か境内にはカイドウが咲き誇っていたはず。。
晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを見ていた。花びらは死んだ様な空気の中を、まつ直ぐに間断なく、落ちていた。樹蔭の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何んという注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。花びらの運動は果しなく、見入っていると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになって来た。我慢が出来なくなって来た。その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。お前は、相変らずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。(「中原中也の思い出」小林秀雄)

博古堂同僚亡き玉ちゃんと…妙本寺にて 1977年
この妙本寺、禅宗が殆どの鎌倉にあっては珍しい日蓮宗になる。鎌倉は凄惨な地が多い。ここ妙本寺も元は比企家(平家によって伊豆に幽閉された頼朝を支援し続け鎌倉幕府開幕の立役者)が居を構えた所。しかし、北条氏の陰謀で一族は全滅という悲劇遭う。

この地で、中也は泰子との愛と自己を「ゆきてかえらぬ」ものとして諦観し小林に詩集を託した。

え~、実はこの17日不整脈改善のため心臓のアブレーション手術を受け昨日無事退院しました。15年程前に一度受けていたのですが、一昨年夏頃からテニスをしていても眩暈や不整脈が酷くなり健康診断でも担当医から心臓の専門医を訪ねるようにと諭されていた。サッカーでは真夏の午後二時の試合が得意だった自分としては、テニスコート上で眩暈が頻繁に起きると大きく自信を削がれた。

足利の主治医の診断では、不整脈は老人病だと💦早めに二度目のアブレーション手術を受けなさいと叱られた。面倒くせな~という自分が居ましたが、今年は11月に六本木はcourage de vivreでの個展も控えているのと、このところどうしてもサッカーに復帰したいなぁという思いが強く、ならば丁度いい時期かなぁと手術を決断したという流れです。

で、今日夕方リフティングをしにご近所の広場へ・・・・。流石に足元がおぼつか無い。そりゃそうだ心臓が火傷しているのだから。今日のところはボール上げの技を一つ完成させるくらいがちょうどいいかなと30分程で切り上げた。
 

(知り合いの葉山は平田剛毅さんが自主制作「長谷川泰子」の試写会に本人を呼んだ時の画像です)
 
さて「ゆきてかえらぬ」に還ります。

この邦画は、ネットで検索する限りでは長谷川泰子にスポットを当てた物語だそうで、メジャーな題材では中也と小林の葛藤が主題になってきたが、その意味では、葉山の平田さんの視座と被る。機会があったら平田さんの撮った「長谷川泰子」を是非拝見させて頂きたいと思っている。

この邦画「ゆきてかえらぬ」の筋は、ネットに挙げられた幾つかのレビューを見る限りでは、当時としては個性的な泰子のユニークなパーソナリティを炙り出すところに力点がある様だ。未だ僕自身がこの邦画を観ていないので軽はずみにものは言えないが、人間ドラマをひととしての資質と捉える視座が一番分かり易くはあるが詰まらない。少なくとも家族環境や時代背景を包括的にかつ構造的に視る視座は必要だ。
 

昭和初期の鎌倉は清川病院(中也はこの地で最期を迎えた)
 
数年程前に僕は「長谷川泰子 」をこのページでアップしたことがある。そこでの視座は、中也も小林も泰子の中にひとの精神が「病む」ことの中身に、人間の創造的表現の元始があることを見抜いていたのではないか・・・というものだった。それは今も変わらない。つまり精神が病むことの中身、それは創造的表現の亜種だということ。病むこととは、限りなく創造的表現に近似した精神的領域と言っていい。それが「亜種」の意味するところになる。

これも以前触れたが、巨匠白川静の論考に「狂字論」がある。この中で白川は、本来人が「狂う」ということは、爆発的な創造性と超越性に繋がるエネルギッシュで神聖な営為だと。現代では「狂う」ということはネガティブに捉えられがちだが、それは人間の可能性を狭める解釈であって、本来人間は狂うという営為によって閉塞した日常を乗り越えてきたと、巫女がそうであった様に。
 

婦人画報より
 
小林と同棲中に小林の帰りをただただじっとして待っている泰子は、小林が帰ってくるなり留守中虎視眈々と用意していた質問「玄関の引き戸の音は数になおすといくつなの」等々を浴びせかけ、気に入った回答がないと地団駄踏んで泣きわめいたという。

彼に浴びせた暴言とも呼べるこの質問、滅茶苦茶ダダだと思いませんか。そして「自分の着物の裾が畳の何番目の目の上にあるか」も。恐らく記録にはないまま没になったアーティスティックな質問集があったはず。
 
   
「三角関係」・・・自分に置き換えて考えてみた。一つだけ思い当たるのが、小学校4~6年頃から30歳過ぎまで親友と思えた友人が、ある年からぱたりと年賀状が寄こして来なくなったこと。それまでは欠かさず届いていたのでおかしいなぁとつらつら考えてみると一つだけ思い当たることがあった。

確か6年生に上がる前の春休みのこと。当時、荒川に注ぐ運河に沿って広がっていた空き地があった。僕らは小さい頃から毎日のようにその空き地というか原っぱに通い続けた。この地は僕にとっては聖地だった。というのも、大人の目から見たらただの原っぱに過ぎないのだが、僕がそれまで一度も上手くいったことがなかった凧あげをこの聖地で成し遂げた。冬の抜けるような青空に吸い込まれるように奴凧は高々と上がり、親父からもらった凧糸にしては少し頼りない糸巻ではあったものの直径8cm×長さ15cm程あった糸巻がすべて使い切るほどにグングン空の果てまで届きそうに上がっていった。この空地は、その成功体験の地でもあった。他にも鬼ごっこや竹トンボや後のディスクヘリコプターを夢中で飛ばした他に代えがたい特別の「場所」だった。

ある日、この「空地」をブルトーザーが轟音とともに整地した。僕らの喪失感は半端なく呆然と立ち尽くしたのを覚えている。やがて、その地に社宅が建ち何世帯かの家族が引っ越してきた。6年に進級する前の春休み、僕がいつものノリでその空地に行くと大人し気な娘がしゃがんで地面にお絵描きしていた。僕は近づいて「お前ら何で引っ越してきたんだ」と毒づいた。もちろんその娘に罪はないのは分かっていた。でも言わずにはいられなかった。実はその娘は後に進級したクラスに転校生として転入することになる。同級となり15年後に僕の親友の奥さんになった。
 
 
   
 親友からの賀状が来なくなって直ぐ、僕はその事情を理解できた。もちろん、親友と結婚した娘がその日のことを話したのだろう。その振る舞いは至極当然で自然な振る舞いだ。ただ、僕がその親友と奥さんにとって取るに足らない奴なら、その奥さんもその日あったことを話すことも無かったろう。問題は、僕と親友が心理的に近く深い関係を持っていたことそのことが不愉快だったのだと思う。当然だ。その時点で、僕は身を引いてその親友とは縁を切った。

深追いすれば、何であの日に僕の唐突な毒づきに、その場で抵抗しなかったのか・・・まあ、11か12歳の大人しい少女にそんなことは出来っこない。故に、僕は身を引いた。

僕とその友人が親友と呼べる関係になった経緯は、多分空気を読まない僕がとったある振る舞いからだと思う。それは同じ四年生のクラスにいた片足が不自由なクラスメートO君との衝突に端を発する。O君は、事故で片足を火傷をしてケロイド状に引き攣ってしまったことで右足と左足の歩幅が違ってしまい、当時の言い方では「びっこ」だった。ただ運動神経万能で野球もドッジボール上手く駆けっこも人並みに速かった。僕らはいつもそんな彼に賛辞を惜しまなかった。ただびっこになってしまったことへのルサンチマンの感情は深く何かにつけ意地っ張りだった。
 
 
現在の川口市立原町小学校
 
 なかなか三角関係に辿り着きませんがもう直ぐです。

クラスメートは皆優しくて大人だったので、そんなO君を咎めることなく許容していた。僕はといえば、びっこもクソもなく余りにも目に余る独善的なことを言ったりやったりする彼を許せず横っ面を張り倒したことがあった。周りの空気は凍り付き、僕の親友も絶句して立ち尽くしていた。で、そんな意地っ張りなO君を僕は嫌いだったので嫌われても仕方ないと思っていたが、その年の夏休みO君から「東君から教わったドナルドダック」というコメントと挿絵を添えた暑中見舞いが届いた。ドナルドの描き方を教えた記憶もなく、何故僕に暑中お見舞いを寄こしたのか訝しかった。

後年、O君の暑中見舞いの意味が分かった。O君は、意地っ張りで頑固な自分を誰よりもよく知っていたけれども、それを自制する術を知らなかったのだ。それは事故で健常な足を失ったことから来るルサンチマンを了解出来ずにいたからに他ならない。でクラスメイトは、そんな彼をそのまま受け入れていた訳だが、O君からすると、それは逆差別だったのだ。クラスメートに、健常者と同じ感情や態度を自分にもとって欲しかったのだ。そんなやるせない感情を僕が彼の頬を殴ることで吹き飛ばしたのだろう。O君とは家も近く、ずっとクラスメイトだった親友もそのことを理解したと思う。でなければ、喧嘩別れしていたはずだ。
 
   
その後O君は、その片足も壊死することで失い、成人になる前に自死したと聞かされた。僕は悲しみより先に、O君の決断に潔さを感じたし深く納得した。親友も同じだと思う。

ここまで理解しあえる友人と親友としての関係を構築されたら、奥さんとしては困るのだ。何故って、自分も同じ様にO君に逆差別なく振舞うことは難しいと感じていたから・・・・と僕は理解している。これが僕の三角関係のエピソードになる。従って、実質三角関係になる前に三者の関係は解消してしまった。親友の奥さんが、親友と同じようにO君との関係を構築できる感性と勇気があったなら僕らは三角関係に突っ込んでいったと思う。

三角関係とは、一つの対幻想ともう一つの対幻想が交差することで生まれる心的領域であり、2:1の対幻想は成り立たない。対幻想は、常に1:1の関係性に閉じようとすることで成り立つ。それ故三者三様に傷つき懊悩することになる。

そして、小林は、泰子の内に中也を、そして中也は、泰子の内に小林を見ていたはずだ。さらに泰子はそのことで自分の価値をより強く重層的に感じていた。恐らく今の時代は、もっとスマートに恋愛するのだと思う。そのことが「ゆきてかえらぬ」の興行成績が悪いことの証だ。

ということで、途中脱線しましたが、今回は三角関係というノスタルジックなテーマを扱ってみました。邦画「ゆきてかえらぬ」は今一つの評判の様ですが、機会があったら是非観てみたいと思います。

では、では。
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