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何年振りだろう・・・大きな気付きがあったのは。

「隆明」繋がりで動画を検索してみると、結構ヒットする。宇田亮一さんの<『共同幻想論』の読み方>に出会ったのも動画だ。つづいて、吉本さんに深くコミットしているのが山本哲士さんで、この動画もとても参考になった。

そういった流れで、言葉の発生と母子関係に行き着き、日本語の母音が持つ意味が、想像を超えて大きなものであることに気付かされた。

足利に転居して直ぐ地元のギャラリーで、今ノーベル賞に最も近いとされる詩人吉増剛造さんを迎えての写真展(吉増剛造 in 足利)があった。そこでも触れたのだが、母音と子音は、どちらが先に発語として出たか・・・を直に吉増さんに尋ねてみた。これ一見すると、どうでもいいマニアックなお話にも聞こえるけれども、実はとても重要な意味を持つと直感的に感じていた。そのことが、今回明確になったので、多少興奮気味に記述している。

山本哲士
当時の吉増さんとの会話を転載すると・・・
詩人中の詩人に、僕が是非聞きたかったこと.....それは、人類(ひと)が 歴史上初めて描いた絵はどういったものだったのかという疑問と並んで、ひとが発した最初の「ことば」、あるいは発音した「ことば」は母音なのか子音だったのかという疑問。これは中原中也の言う「名辞以前」より更に前の原発語とでも呼ぶべき意識を声音に変換した瞬間の出来事になる。この問に応えられるひとは吉増剛造を除いて他にいない。
 十年程前、たまたまラジオ(荻上チキsession 22)を聴いていたら漫画家の押見修造さんが出演し若い頃、吃音(どもり)だったことを話していた。吃音には、大きく分けて2タイプあり、一つは母音が出てこないタイプ。もう一つは連発型といって、同じ発音を多々羅を踏んで繰り返してしまうタイプ(テテテ、テーブルといった風に)。彼は母音が出ないタイプだったのだが、ある日❝裏技❞を見つけたという。それは、先ず子音から発し、子音を呼び水のように使ってスルッと母音に移行するという発語法だということ。

吉増剛造
.  それまで漠然と発語の起源はきっと「母」音というくらいだから母音だろうと思っていた。でも、このラジオを聴いて瞬時に、いや子音だなと直感した。

三木成夫さんによれば、ひとが言葉を話すということは、人間工学的に言って異常な負荷をかける行為になるという。というのも、発声は、呼吸を止めなければならないからだ。とても不自然なことを犠牲を払ってやっていることになる。人類最初の発語に至っては、もう尋常じゃない脱吃音だったはずなので、これはもう事故の様、あるいは狂気の様だったと思う。
...... と考えているんですけれど、吉増さんはどう思われますか?と訊ねたところ「... もう完璧じゃないですか。僕もさっきまで母音が最初かと思っていたけど、今のお話を聞いてその通りじゃないかって思う」といった回答。
ここからが本題です💦

つまり、「母音とは何か」ですが、これは背景に壮大な物語が潜んでいます。一番大きく重要なのは母と子の物語です。吉本さんが、フロイドと解剖学者三木茂夫を踏まえて紡ぎだした「母型論」には・・・

母音とは胎乳児と母親の関りの、種族や民族を超えた共通性と、習俗の差異のつみ重なりから生み出された言語母型の音声に外ならないといえる
・・・つづく
  ちょっと、テーマが重くて深いので言いたいことが在り過ぎて更新が進まない💦

・・・で、言語の発語に関して、人類は共通して鼻腔、そして咽頭に空気を送り込むことで発語を機械的には生んでいる。重要なのは、母音に関してどの種族民族にとっても物理的な発語構造は同じだが、日本及びポリネシアでは母音を左脳(言語脳)で聴いているということ。例えば、コオロギなどの虫の声を、雑音ではなく意味を持った言語として左脳で聴いているということになる。

ヨーロッパ言語圏では、虫の音は単なる機械音(物理的な音)でしかないので、右脳で聴いており、従って、母音
 a.i.u.e.o はアイウエオ以外の意味を持たない。一方、日本語で「ア」と発音すると阿吽(あうん)の「阿」、われの「吾」等々あり、「イ」にしても「胃」、「異」、「意」と数多くある。

と言うことは、発語(意識され意味を持った発音)は、技術的には子音を始めに持ってくるとしても、発語したいのは母音なので、その意味では、母音は、明確な欲求をもった意志(自己表出)によって表出した言葉と言っていい。
 
   
  この際、乳児の発語(=言葉)の前の段階(前言語)に乳幼児のアワワ言葉ではなく、明らかに母子分離を経て”他者”へ意志をもって意味のある言葉(=発語)が生まれる訳だが、吉本さんは、この時点に、男の子は女から男になり、女の子は、それまでの受け身としての女性性から女になると言っている。また同時に、この時点が母子分離不安から、様々な異常や精神疾患(統合失調症等)が生まれる根源があるとも言っている。

従って、前言語と言語の間で何が起きているのかを、分裂病(統合失調症)が白日の下に晒してくれていると吉本さんは、母型論の中で念を押している。
 このこと(母と子の前言語と言語獲得の物語による刷り込み)は、後に僕らの日常の中で、例えば気が付くといつも同じタイプの異性に好意をもっているとか、同じ経緯をたどって異性や友人と破局に至るとかを繰り返す事に繋がっているという指摘も特筆したい。
 
   
  この辺で打ち切らないと切りがない。

この後、吉本さんは、古事記を例に出しながら母音が、西欧と日本の神話の違いにも繋がると述べているが、ここに触れると際限がなくなるので、今回はこの辺で止めておきます。

たかが母音、されど母音です。

では、では。
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