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正月
故吉本隆明さんの長女ハルノ宵子さんの『隆明だもの』を読んだ。

この本に飛びついたのは、生前の吉本さんの家族(主にご夫婦)の様子を知りたかった故。ほんわかとしたイメージをもって軽い気持ちで読み始めたら老後の地獄絵をみることに。吉本さんが、漱石の小説を地で行ったかの様に、同人誌を運営する同士の奥さんと結婚したことは知っていたので、さぞラブラブな夫婦で家族も和やかな暮らしを・・・とは甘かった。

作者のハルノ宵子氏が言うように、ご両親二人は強烈に惹かれ合いながら反発していたというから、これは壮絶な呈ではと。。
ちょっときつかったのは、吉本さんが自己慰安として三大書籍(「言語にとって美とはなにか」、「共同幻想論」、「心的現象論」)を執筆し、その佳境にあった頃、奥様とのコミュニケーションはほゞ無かったという行。会話が足りないのは十分お分かりになっていたと思うが、あの三大書籍を完成に持って行こうとする熱意は・・・「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」(「固有時との対話」)という妄想(自己幻想)とはいえ、既に彼の手中にほゞあったと思えたであろう故仕方がなかった様に思えてしまう。故に、置いてきぼりにあった奥様の寂しさと怒りは如何ばかりか。。
友人の妻を奪った負い目も大きいと思うが、夫を捨ててその友人と一緒になることへの負い目というか罪意識はちょっと想像を超える。恋愛ってひとを狂人にするのだろう。三者の関係は地獄に違いない。それでも一緒になろうとする志向は、一体何処から来るのだろう。そして、その”熱”は恒久ではない。これってきつい。

溜息をつきながら進めてるが、ちょっとショックだったのが、丁度吉本さんが伊豆で溺れた頃だから72歳以降になる、和子さん(奥様)が俳句集を出されたそうで、そのことを吉本さんは、「この素人が」と(実際に口に出したかどうかは分からないが、ハルノさんはそう言ったニュアンスで書かれていた)いった風で一切その句集を手に取ることはなかったという。これって意外だった。何故って吉本さん自身色々な場面で「表現とは自己慰安だ」と口にしていたからだ。だとしたら、素人であろうとなかろうと表現したものは等価ではないのか。。
きっと吉本さんの中では、厳しいプロの基準があって、それは並々ならぬ努力と継続性の裏付けがあってのこと。いくら才能があっても、昨日今日にサクッと書き上げた表現など偶然の賜物で然程価値がないというスタンスだったのかも知れない。僕自身は、作品とは(表現とは)素人が偶然表現したものであろうと、プロと言われる者が散々研鑽を積み七転八倒した後に仕上げられたものと、作品自体がよければ、それはそれで立派に価値あるものと思う。

男女、そして、夫婦って何なんだろう。そして、どうあった方が双方にとって幸せなのだろう・・・・。
結婚する前、奥様は小説を書いていたそうで、結婚するにあたって、吉本さんは奥様に「もしあなたが表現者を志しているのだったら、別れた方がいいと思う」と伝えたそうだ。ハルコさんの解釈は、一家に2人表現者がいたら、家族は成り立たないということ。本当にそうだろうか・・・僕の作家理解が甘いのだろうか・・・。
  僕の勝手な思い込みだったのか、吉本さんが奥方にプロポーズしたとばかり思い込んでいた。けれども「表現者を志しているのなら別れた方がいい」と奥方に伝えて、奥方がそれを呑んだとしたら・・・ここは、奥方が吉本さん以上に好いていたと考える方が妥当ではないか。。

そうだとしても、吉本さんご自身が言った「表現が全てのひとにとっての自己慰安だ」とすると、表現の質如何に関わらず、ひとという存在の核ともなる表現を奪うのは、相手に十全に生きるな❕と言っているに等しい。きっと僕らが知りえない何かがあったのだろう。そう考えないと腑に落ちない。

ただ確かに表現で食うプロになるのは、奇跡の様なもの。僕が未だ若かった頃、プロの作家って、どうすれば成れるものか、彫刻家飯田善國に直接電話で聞いたことがあった。とても丁寧にお応えくださって、その時の回答は「奇跡です」だった。それ位プロとなって食うのは難しいということなのだろう。そうだとすると、吉本さんが奥様に伝えた究極の言葉は分かる気もする。
 
   
  吉本さんは、生前「自分の人生の最大の事件は、和子さんをめぐる三角関係だ」と答えておられた。その真相は、外部の僕らには全く知りえないこと。生活を含めた男女(男男、女女でもいい)のカップルの共生は、一方で世俗の生活と、もう一方で自己幻想(表現することによっての自己確認)という次元の違った世界を充足しなければ成り立たない。

ただ、表現と言う自己幻想をもってプロとして自立するということは、生活世界と自己幻想と言う精神領域を同時に成立させることを意味することになる。この困難さを事前に認識して「もしあなたが表現者を志しているのだったら、別れた方がいいと思う」と口外したのだろう。そのカップルが、双方で、この二つの領域を充たしながら共生することはまさに「奇跡」だから。
 
   
  男女であれ、男男、女女であれ、お互い惹かれあって共同生活を始めるわけだけれど、恐らく万人が持つ、生れ落ちてしまったことへの悔恨というか無意識の傷というか寂しさを、表現と言う「自己慰安」によって癒している訳だが、どちらか一方がこの「自己慰安」を奪われるとしたら行く行くは双方地獄にならざるを得ないのではないか。超頭脳明晰な吉本さんがそんなことを理解していなかったとはとても思えない。対幻想ってそこまで厄介なものなのだろうか。。まあ確かに厄介かもしれない。

自己慰安を奪われてしまった後の結婚生活や人生って不幸ではと思うのだが、実際のところどうなんだろう。。子育てや主婦(主夫)業にも創造性や自己慰安があると言われてもちょっと詭弁に聞こえる。もちろん、そういった面もあるけれども。もし、吉本さんが健在で『共同幻想論』に関する講演が企画されたとしたら是非そのことを質問したいが、残念ながらそれは叶わない。
 
     
   で、もう一度共同幻想論を読み返したくなりYouTubeに上がっている動画をざっとあたってみた。結構面白いものがアップされていて、その中に僕らの世代より二回り三回り若い識者がいたので、その方の書いたものを購入してみた。特に対幻想に関してどう解釈しているのかが気になる。

山本哲士氏の吉本解釈も興味深く参考になった。

何れにしても、吉本さんの家族(対幻想)とは別に、共同幻想論で扱われているテーマは、山本哲士氏が言うように世界レベルであることだけは確かだろう。世界はいつ、そのことに気付くのだろう。
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