有鄰館(桐生市) 概要: 有鄰館は群馬県桐生市本町二丁目に位置する施設。 有鄰館の所有者だった矢野本店は江戸時代中期の享保2年(1717)に創業した老舗で、寛延2年(1749)にこの地に店舗を構えると次第に家業を広げ桐生を代表する豪商へ成長していった。 有鄰館(煉瓦造平屋、切妻、桟瓦葺、構造部が外壁側に張り出し、入口上部は石造のアーチ状になっている。矢野本店敷地内に建てられた煉瓦造り建物を含む11棟の歴史的建築物群の総称でその内5棟(煉瓦蔵・塩蔵・味噌醤油蔵・酒蔵・穀蔵)の建物と氏神、屋敷神である楠森神社、稲荷神社が貴重な事から平成6年(1994)に桐生市指定重要文化財に指定されている。 現在は桐生市町並みの拠点の一つになり、内部ではコンサートや舞台、ギャラリーなど多目的で利用されており、当地域が「桐生市桐生新町重要伝統的建造物群保存地区」に選定されると、その構成要素に選定され、桐生市の良好な町並みに大きく寄与している。(桐生市観光案内より) |
桐生市有鄰館赤レンガ倉庫 |
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足利市のgallery「artspace&cafe」オーナーに御案内を頂き、お隣桐生市の「有鄰館ビエンナーレ」に出掛けてみた。オーナーから建物が良いと聞いていたが、近代遺構を活かした期待以上の空間。 桐生は、織物の町として知られているが、有鄰館は今で言ったら総合商社(米・酒・醤油・穀物等の卸)。 金沢には負けるが、人口11万人足らずの小さな地方都市が、近代遺構を遺す姿勢には頭が下がる。何故って、街の規模として遺構を遺す予算計上は、至難極まることが予想されるからだ。 ここ最近は、中世・江戸より、近世に関心がいく。振り返ると、近世とは、世界も日本も一言で言って「狂気」。もちろん牽引したのは「資本主義」だ。 |
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その資本主義も終わろうとしている。もちろん、コロナ禍が、その背中を押しているのは言うまでもない。 (10月27日) 足利市のgallery「artspace&cafe」オーナーによると、桐生市に遺る近代遺構は、皮肉なことに足利の様に市の予算規模が大きくないために遺ったということ。つまり、新たに建て替えたりリニュウアルしたりする経済的余裕がなかったため、仕方なく遺したということが実相。 とは言うものの、放置して廃屋にすることを選ばず、知恵を出して明確に近代遺構として遺した市民の民度は高く、リスペクトしたい。市域には桐生織物会館旧館を含む6件の日本遺産や、130件以上の国登録有形文化財が残されているという。残念ながら足利市は、中途半端に豊かだったがためか、近代遺構として遺されたものは極わずかだ。 |
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明治23年制銅版画 |
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足利市に隣接する桐生市は、僕の住む小俣町の直ぐ隣なので桐生川を遡って渡良瀬川に至る僕のウォーキングコースにある。なのでしょっちゅう行き来している。お隣さんは、先ず足利市内に出ることはなく大方桐生に出て買い物等を済ますとのこと。それもそのはず、明治初年まで桐生は栃木県直轄の地だった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
企業の平均寿命は30年といわれ、栄枯盛衰、足利も桐生も街を歩けば「枯」と「衰」ばかりが目立つ。僕自身は、そんな風景は嫌いじゃない。その桐生は、足利と違って古い業態から新しい業態への移行は、それなりにスムースだったようで、今では織物業に代わって機械金属産業(撚糸機や管巻機などの織物準備機械の製造から発達)自動車部品産業が元気。 桐生有鄰館ビエンナーレをゆっくり観るはずだったが、出品者の一人の石井克氏が、僕と同じ町(小俣町)の方だったことと、長く養護学校の教員をなさった方もありボーダレスアートの話で盛りあがり、気付けば閉館10分前;;速攻館内を巡回し敷地内の矢野本店で抹茶カフェラテを頂き、古文書教室のみなさんへのお土産を買ってお隣の近江屋喜兵衛屋敷(旧前原邸)へ。 |
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旧前原邸を料亭に改装してオープンしたのが昨年春。夕方ということもあって客はいなかった。もちろん、コロナの影響で飲食業は今、息も絶え絶え。折角の試みも天変地異には敵わない。僕も応援したいが、予想通りヨーロッパでコロナ第二波が到来し、第一波より猛威を奮っていることもあり超緊縮財政。何だか申し訳なく後ろ髪を引かれる想いで近江屋をあとにした。 桐生は、未だ未だ観るべきところが沢山あって、アフターコロナがいつになるか分からないが、この後じっくり散策したいと思っている。 コロナ禍が、今まで見えなかったもの、そして、見たくなかった日本の実相を露にさせ、その意味では僕自身腹が座ってきた。ただし、「オリンピック後にどでかい不況が来る」とされたオリンピック景気はスカとなり、それを前倒しで且つとんでもない規模の不況が来る事は間違いなくなってきた。今日も大手航空会社の赤字額や希望退職者の呼掛け、そして、リーマンショックの時にはなかった副業の勧めがニュースで伝えられている。 健康に留意してことに臨みたい。 次回から、暫く休眠していた Today's working を充実させたいと思いますので引き続き urushi-art.net を御贔屓に♬ |
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