1978年........鎌倉宝戒寺にて昼休みのスケッチ
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そう友人 I 君のことでした。残念ながら写真はありません。というのも、一ヶ月とか平気で登社拒否する奴だったので。。云わば悪友でした。でも、こいつから学んだことは途轍もなく大きかったです。

彼はある日突然入社してきたのですが、殆ど顔を出すことが無いうちに”首”になったので職場での付き合いはほゞ皆無だったような。

時々、無断で長く休んでいる彼のところに様子を伺に北鎌倉まで出掛けました。そうすると呆れるほど元気に迎えてくれるのです。はぁ?って感じでした。僕がしっかり出社するように説教すると、決まって野暮な奴だな~と云った顔をしていました。

東京造形大でバリケードを張っていた美共闘だった彼との話は面白く、鎌倉彫とは何か、美術とは人間にとって何なのか。大衆から離れている美術に真の価値はあるのか……等々夜を徹して話し込みました。その彼によく言われたのは「日出夫ちゃんって無菌豚だからな~」というセリフです。悔しいのですが当たっていたので甘んじて受けました。
 
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1977年.........博古堂彫刻部にて
本当の意味で吉本隆明を知ったのは彼と出会ってからです。それまで吉本さんの書物は持っていましたが本気で読んではいませんでした。もちろん難解だったということもありましたが、本当のところは自分の現実と吉本理論が重なっていませんでした。ところが、I 君と知り合うことで、自分が今鎌倉彫をすることと、どう生きていったらいいかとかを、吉本理論と照らし合わせながら考えることを可能にしたというか強要させたのです。

このことは大きなカルチャーショックでした。彼との話は「男とは何か、女とは何か」、そして「人間にとって美術とは何なのか」へと広がってゆきます。

彫木漆塗り笈(鎌倉彫の原型)
彼と僕の間でよく議論になったことは「装飾の重要性」と「抽象美術について」でした。

彼自身は、「装飾」を抜きに鎌倉彫を語ることは出来ないと考えていて、当時僕が抽象彫刻に耽溺していたことを暗に批判していた訳です。時代は正に、ミニマル全盛期の頃でしたから、僕自身は装飾に関して全く関心なく、彼が装飾に関して拘ることはアナクロに思えて、その意味が理解できないでいました。僕が装飾に深くコミットするようになったのは、この後十年ほど経ってからです。



「装飾」と、その真逆の「省略美(ミニマル)」は、僕ら人間にとって振り子の様に反復する普遍的な美の姿勢です。そもそも、この概念を二項対立させることはナンセンスです。それは、僕らがこの矛盾する二つの表現スタイルを併せ持っているからです。

Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet
とても興味深かったのは、具象か抽象か、装飾か抽象かで対立していた僕らに共通して理解出来たのはガウディーでした。今から考えると、とても合点がいきます。近代史の中で ガウディーの表現は、丁度ミニマリズムへと向かう抽象化の流れと、近代まで続いていた装飾的な具象の世界とを橋渡しをするものだったと考えられるからです。


ガウディーの表現は、抽象とも具象ともいえない、どちらも併せ持つ奇妙なものです。丁度、具象的なイメージが抽象的なイメージへと離脱する端境期の様な表現と云えそうな気がします。


僕らが鎌倉彫に関わった当時、鎌倉彫に関して共通して抱いた印象は、「垢ぬけないダサイもの」といったイメージです。世の中は、モダーンが深く浸透し徹底されていく流れの中で「新しい鎌倉彫」を模索することは、時代に逆行する不毛なことの様に思えてなりませんでした。


こういった、装飾的なものから離れ、モダーンへと向かう指向を相対化出来るようになるのは、コンテンポラリーな美術としてその思想を牽引していた現代美術の思潮が、新表現主義やニューペインティングと呼ばれる否ミニマルアートを認めたことが大きかったと思います。簡単に言うと「何でもあり」の時代がやって来たとも言い換えられます。








 
ニューペインティングの旗手バスキア作
逆に言うと、モダーンの思潮が 行き着いたミニマリズムが、新表現によって乗越えられたというより、ミニマリズムそのものが最早スタンダードなものとして世の中の底流に定着したとも言えます。



こういった機運が、新しい鎌倉彫の提案の背中を押してくれました。つまり描き込むこと、そしてそれを含む装飾の復権です。加えて美術手帳 1987年版 『江戸ラビリンス』で、中沢新一と多木浩二の対談で、日光東照宮を題材に如何に僕らにとって装飾が重要かを議論し、当時トレンドになっていたニューペインティングが生まれた必然性を論証してくれたということが、僕にとっては追い風になりました。

我が意を得たりと、それまで日陰に居た装飾過多ともいえる鎌倉彫を「ニュー・トラディッショナル」として世に出す準備が整った時です。








 
大竹伸朗
工芸といえども美術の範疇に入るので、その時代の底流に流れるコンテンポラリーな「知=時代精神」をしっかりつかまないと、アナクロなものや頓珍漢で的外れのものを作ってしまいます。その意味で、最も自由度の高い最先端の現代美術に目を配ることは、工芸に携わるものとしても重要です。


どんな時代に生きているのか、そして今どんな風が吹いているのかを肌で感じ、その上で自分の拘りや狙いの様なものを矛盾なく練り込んでゆくという感じでしょうか。
 




















錫研き卓.............by azuma
今(土曜夜10:30)、錦織って凄いな~ってドキュメンタリーTV「クロスロード」を観ていたら 、次週は「銀座 鮨よしたけ」さんの特集だということ。こちらでは「テレビ大阪」、関東だと「テレビ東京」になるはず。忘れずに観なければ(最近物忘れが激しいので危ない;;)。

よしたけさんといえば、先週乾漆のぐい呑みを納めたばかり。大分お待たせしたので慌てて送ったため画像がありません。残念。予告を見る限り、恰幅が出てきてどっしりと落ち着いた感じに見えました。それもその筈、初めて六本木でお会いしたのが十年ほど前でした。次上京する際には必ず寄らせて頂きます。
 
乾漆ぐい呑み「 17th C BC」
そう鎌倉彫でした。

今後ですが、これは38年前も今も全く変わりません。「鎌倉彫とは何なのか」 を本気で考え、それを踏まえた上で「今鎌倉彫に何が求められているのか」を模索すべきだと思います。

まっ、こんなことを本気で考えている工人は、昔も今も皆無でしょうから凋落傾向に歯止めを掛けるのは難しいのかも知れません。業界に居るとつい忘れてしまいがちですが、僕らは元は仏師だったということ。これを離れて新しい鎌倉彫など生まれるはずもありません。それは、漆工芸の代名詞にもなっている輪島などの漆器にないDNA を、鎌倉彫は固有のものとして持たされているという事実です。

そして、たまたま工芸に転用しなければならなかった経緯で生まれた「乾口塗り」が鎌倉彫の塗の代名詞になっていますが、これに固執すると、そこからは新たな鎌倉彫の可能性は生まれ得ません。あくまでも「乾口塗り」は過渡的な変わり塗だということを理解して、更に彫にマッチした塗を生み出すべきです。鎌倉彫の凋落を業界の外で見るにつけ、そんな風に思います。


加えて、マーケットが今どうなっているのかを徹底して学習すべきでしょうか。お教室で回してきた業界では、今の日本のマーケットがどうなっているのか、そして今後どうなってゆくのかまるで無頓着だったように業界の外からは見えます。一度は、その業界に身を置いたものとして、そして、伝統工芸界全体が厳しい状況に置かれている今だからこそ、しっかりと現状分析をして、この難関を乗り越えて欲しいと思います。

「蕪紋彫大椀」........ by azuma