真 実  
   

またぞろ高校野球の季節が始まる。インターハイの硬式野球が、これほどまでに特別扱いされる事にたいしては、ずいぶん昔から腹立たしく思っている。県の予選段階で地元新聞の地方欄は連日のように結果を掲載し、決勝戦は通常のラジオ放送を止めてNHKが中継している。 

プロ野球だって、連日民放の夜を独占状態だ。納得できない。どうして、こうも特権的な扱いを野球が受けるのか。歴史的な経緯で、国民的スポーツになったことぐらいは知ってはいるが、21世紀の今、まだそれを引きずるのかという所が疑問でならない。

 

常滑レポート index
08/06 真 実 
Baby Steps 
亡 父
時間があったら 
若年性認知症
長三賞1972年 
 それにしても 
ラジオ
晩秋の夕日に
楽園にて
飲酒が止まらない
合宿
手前味噌 
蝉時雨の頃に
変貌 
 絶好調な時
十年一日 
亡父七回忌
天然物 
2015年末2016年始
2005年の早春
ゆたかな時間
仙境 
世代交代 
うさぎ追いし
孤独 
研究姿勢 
ヌートリア 
急須
石から鉄へ 
縄文時代 
年の瀬に 
乙未 
だいえっと 
完全主義 
 さいてん 
 定説くずし
 振り返りつつ
 夢のような
名前の世界
予定調和
かめら
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 こんびに
小鮒釣りし
 論文提出
前近代・近代の彼方 男と女 
異 形 
ファール 
しみじみ
子どものころ
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飽和点 
世界
青い鳥
田舎暮らし
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 自画像
人類史的転換......
美しき都会
 暗黙知
感動せんとや
稔りの秋に
バベルの塔の物語 
若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
過剰なるものども
 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   

2005~2017  常滑レポート index

高校生だったころ、テニス部のラケットは個人の物だったが、野球部のバットは部費から出ていた。なぜなんだろうと思ったものだ。まあ、選択の自由がある方が、お仕着せよりもいいのかもとか考えてみたりもしたが。

 

夏休みの子ども電話相談室も耐え難い。どうして午前中を毎日独占するのだろう。せめて1時間で、できれば100本くらいの応答から面白いところを編集して流してほしいものだと思って毎夏過ごしている。

 
などと言いながらFMもあり、CDもあり、ネットもあるのだから文句を垂れる暇があるなら他の事に時間を使うべきなのだろう。高校野球ファンは毎年楽しみにしているのだろうし、プロ野球の中継にもスポンサーが付いている。子供の相談を楽しみに聞いている大人も、いっぱいいるから成り立っているのだろう。

 

そして、新聞の宅配読者も相変わらずメジャーなのだろう。実は、この3年ほど紙新聞を止めている。田舎で起こっているいろんなことを知るのに中日新聞は重要なのだが、ほとんど隠居状態で、生まれ故郷から離れてアパート暮らしをしている身にとって、知多版や県内版の情報はさほど必要でもない。

   

国政や世界情勢はテレビやラジオのニュース、論説やネットのニュースでも、いろいろと流れてくる。フェイク風のものや、いささか偏ったものもなしとしないが、丸のみしなければ、それほど情報操作されるものでもない。というか、紙新聞読んでいた頃でも小泉政権や民主党政権に期待したし、佐藤優や鈴木宗男は悪者だと思ってしまったものだ。



8月になり、大学も夏季休暇に入った。今どきの大学は、小中高校が夏休みになってもテスト期間が続いているのだ。今年は近場の大学の経済学部で2単位の講義、15回を受け持った。そのレポート読むと、なんとも悩ましい事が少なくない。

 
 

課題にそってネット検索した情報を適当につなげてまとめているのだが、ネットの情報には、伝説が史実のように扱われているものや、覆された過去の定説が、もっともらしく書いてあるものが少なくない気を付けるようにと、講義で口を酸っぱくして注意しておいたのだが、業界団体や自治体広報課の書いたものを無批判に書き写しているのであった。

 

なんとも無力感に襲われる酷暑の日々だ。情報が氾濫していて、ポケットの中のスマホでいくらも入手できる時代なのだ。かつて、図書館で学会の重鎮が書いた書籍をノート取りながら勉強したものだが、その定説が今では否定されて一つの学説になっているなんてことも少なくない。

 
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細分化する専門領域の中で繰り広げられた真実の追究、そこから得られた数々の新たな情報は、普通の人々にとって伝説や歴史小説で脚色された物語の幻想を打ち破るだけの力を持ち得ていないのではないか、などと悲観的になるのであった。

そして、自分たちに都合がよくて耳障りの言い国の歴史や国家像が描かれ、政治権力が後押ししていく流れが見え隠れしている現在、なんとも心配ではある。