変 貌  
   
昨年の帝京大学に続いて、今年も東京学芸大学で開催された日本考古学協会の総会に出かけていった。僕が考古学という学問の存在を知ったのは小学3・4年次の担任であった福田先生のお陰だ。

その当時、僕が通っていた小学校の教頭が杉崎章という人物であった。しかし、その教頭先生の記憶はなく、「教頭先生は山から出てくる茶碗のかけらを見ればいつ頃作られたものかわかるのです。」といった福田先生の言葉に動かされ山に行って焼き物の欠片を拾ってきたりしていたのだった。
 
常滑レポート index
06/09 変貌 
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2015年末2016年始
2005年の早春
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 論文提出
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若者たちと
蝉時雨聞きながら
 行く末の記
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 梅雨入り直後
笛を吹いてはならぬ 
 晴鳶堂の記
 桜咲く
 若者三人
忘我に導かれる事 
立春 
一区切りの正月   

2005~2016  常滑レポート index
その後、中学に入ってテニスに夢中になり、それは高校まで続いていった。中学では補欠だったのだが、高校になると軟式から硬式に変わり2年でキャプテンを勤め県大会でも、常滑の中野はそこそこ知られる選手になった。

高校卒業したら就職と思って進んだ学校だったが、大学に進んだ先輩や先輩の仲間が、お前うちの大学に来ないかなどと夏休みの練習などで誘ってくれたのが大きかったように思う。大学でもテニスをやりたいと思うようになった。
 
そして、模試で進学する希望大学、学部、学科の選択をする段階で文学部・史学地理学科・考古学専攻という進路があることを知ったのだった。高校生の頃、世界史の山中先生が発掘調査のアルバイトを募集していたのを知っていたが、テニスでそれどころではなかった。

とりわけ強く希望したわけでもなかったが第一志望であった考古学専攻に入り、神田の古本屋街で1年生の時に学生社の『常滑の窯』という本を考古学シリーズの中に見つけたのも運命的だ。著者は小学校の時の教頭先生であった。その年の夏休みに高校の山中先生を訪ね、杉崎先生の発掘に参加するようになるのだった。
   
 丁度、我が国は高度経済成長期で列島改造計画も進行中であった。土地改良事業や宅地開発、自動車道路などなどで遺跡は破壊されることとなり、その前に記録保存という形で文化財保護法に基づく遺跡の発掘が次々と実施される時代であった。

大学の休暇のたびに帰省して杉崎先生の発掘現場に汗を流していたのが学生時代だったが大学院の修士課程を終わる年にちょうど常滑市民俗資料館ができ、学芸員の募集をするという。実にいいタイミングだ。就職でも杉崎先生にはお世話になった。
 
道楽の延長ででもあるかのような学問であった考古学だが専攻生は就職口が全国にある学問になっていた。35年も過ぎているのだから不思議な気がするが考古学と向き合って40年になる。

そして、例年春の連休には協会の総会に出かけたものだが、東京の博物館やギャラリーを総会後に見て回ったり友人・知人を訪ねたりするのも連休の楽しみであった。そのお陰で毎月、拙い文章をネットに上げるようなことにもなっているのだが。
 
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結婚して子供が出来た頃から協会の総会に出ることが少なくなった。そして、その頃は全国的なシンポジウムがいろいろと開催される時期であった。80年代末から90年代だ。想えば元気な盛りであったようで世の中はバブルに湧いていた。

世代交代は進み、お世話になった先生方は皆鬼籍の人となっている。そして、自分の子供たちも社会人として働く年になっている。学会も自分より若い研究者が活発に研究発表などを行っているようになった。
キャンパスはどこも綺麗でオシャレだ。政治色などほとんど見えない。自分が学生であったころの埃っぽく吸殻がそこここに落ちていた大学に拡声器から響くアジ演説など聞こえるはずもなく、まるで別の国の出来事のようだ。

学問のあり方も、過去に民衆の階級闘争の歩みを見ようとする共同体と権力の形成課程を遺跡から析出しようなんてのは跡形もなくなり、文化財を現代社会に活用するには、とか災害復興と考古学とか。当たり前の事だが学問も時代とともに変貌していくのである。知らない間に年寄りの仲間になっている。