天然物  
   
年が明けて、あっという間に一月が過ぎていった。明日は早節分となる。学校は冬休みからの、最後の講義とレポート提出で成績票の提出まで進み、2月の私大は入試シーズンになる。

温暖化を強く感じる好天の年末年始、連日畑に通う日々であった。畑にはミミズがいっぱいいる。ミミズの糞と燃やした雑草の灰以外の栄養は我が畑にはないのであるが、ミミズはスコップ一杯の土に必ず一匹は居るのであった。
 
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02/08 天然物 
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2005~2016  常滑レポート index
そのミミズを餌にして下の溜池に釣り糸を垂らして放置しておくと鮒が釣れる。寒鮒を洗いにして頂く快楽を知ったのは一昨年の事であった。淡水魚は寄生虫がいるので怖いという印象だが、筋肉に寄生するのは横川吸虫くらいで大したことはない。

面倒なのは肝臓に寄生しているジストマなんかの連中だ。田螺を生茹でて食べていた魯山人は、肝臓をやられて酷い晩年を送り命まで取られてしまった。消化器管に寄生する連中は昔であれば栄養失調を引き起こしたが栄養過多な現代にあっては、もはや敵ではない。
 
寄生虫博士の異名をとる藤田紘一郎先生はサナダムシのさなえちゃんを自ら大腸で飼育するという快挙を平気でやっていた。あの寄生虫の雄、サナダムシを飲むというのだからスゴイ。そして、さなえちゃんもさほど長くは寄生できなかったと記憶している。

今年はいつもの仕掛けを変えて、浮子を付けずに深いところへ投げ込んでおいたところ夕刻巻き上げてみると、なんと天然物の鰻が釣れたのであった。コイツは春から縁起が良いといったところだ。
   

こんな小さな池にこれほど立派な鰻がいたのかと驚かされるほどなサイズで我が家のまな板で捌くのは難儀なことであった。最近はYoutubeなんて便利なものがあるのでイメージトレーニングが容易にできる。

それでもプロの腕と道具に比べて素人のそれは鰻に申し訳ないほどで、天然鰻との格闘はわが人生で初めての得難い経験であった。それにしても鰻の生命力の強さには実際驚かされた。生命力だけではなく、その全身からひねりだされる力そのものも凄いのだった。
 
  
鰻を食べると精力が増すというのは、この生命力なのだなあと実感した次第であった。そして、作り上げた蒲焼は見た目に実に美味しそうで丁度仕事から帰った息子君の晩御飯に出したのだが、がぶりと噛み付いた彼の顎が止まってしまった。

美味いという言葉は出てこないのだ。そして、彼の口から出た言葉は、臭いであった。溜池に長年住み続けた鰻の皮には泥の匂いがしっかりと染み付いていたのであろう。そのお陰で肉だけを頂いた僕の感想からすると、筋肉がしっかりし過ぎているかなという感じ。
蒸して焼く、くらいのしっかりした丁寧な調理をするべきであったと反省すること頻りであった。しかし、鰻本来の味はこれであろうという想いもないではない。養殖物に慣らされてしまって大地の匂いが不味いと感じる味覚になってしまったという事ではないのかと。
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それにしても最近鰻の値段は稚魚の減少によって異様に高価になっている。天然もんを保護しないと絶滅するかとも言われているが、けっこういるんだなあという新年早々の体験であった。