才能のこと |
||||||||||||||||||||
2005~2010 常滑レポート index |
||||||||||||||||||||
人それぞれに、それぞれの才能があって、その才能が社会の中で受け入れられるものであるのか否かは別の話なのだろう。プロスポーツの選手など、圧倒的な才能に恵まれ、それをさらに磨いた連中だ。 様々なプロテクトをかいくぐり国家機関や大企業のコンピュータに忍び込むハッカーやウィルスを生み出す連中は、その恵まれた才能を浪費しているということになろうか。実にもったいないことである。 |
||||||||||||||||||||
落合博満という人は自分が理解するレベルの野球技能に達していない人とは野球の話をしないのだと聞いたことがある。コーチングスタッフも従来の人脈を完全に無視して、野球の才能に恵まれた人物をヘッドハンティングしてきたのだった。 面白いのは球団経営からすれば常勝球団になる必要はないということだ。優勝すれば選手の年俸は上げざるをえないのだし、それに見合う観客動員ができてはいないのだから。 |
||||||||||||||||||||
常滑市民俗資料館 |
||||||||||||||||||||
すぐれた才能だけで勝負すると、才能の持ち合わせがさほどもない連中が拒否反応を起こすということだろうか。 | ||||||||||||||||||||
世の中、才能だけではないのだと教えてくれてもいる。どうして、そんな作品が好いと思えるのだろういう作品を買っていく人がいる。そういう人たちは僕にはない才能を持っているということにもなろう。 | ||||||||||||||||||||
勝負事ではない美術工芸の世界では、才能も多様な形で現れることになる。売れれば勝ちということでもない。一部にコアなファンがいるという人は少なくない。いや、随分と多くの人がファンであり動向を注目している作家であっても、我が町では、ほとんど知られていないというような現実があるのだった。 | ||||||||||||||||||||
2005~2010 常滑レポート index |
||||||||||||||||||||
世の中が複雑になり、その複雑さに見合った多様な才能が受け入れられている姿なのだといえようが、それだけ惚れ惚れの強さも薄くなるのは否めない。 |
page top |