至福の時間  
常滑レポート index
06/14  至福の時間
フェスティバル 
研修生
無常
春が来た 
歴史的新年の閃き




2005~2010 常滑レポート index
給料をもらって作品を造るという作家の多くは、作者であると同時に指導者でもある。そして、多くは作家としてよりも指導者・教育者として報酬を受け取っていることが多い。

その指導者としての作家は、若い頃からその職に就くと作品を造らなくなるし、作ってもさほど評価できないものであることが少なくないように思える。もちろん例外も少なくないのではあるが。
その一方で、作品で勝負してきて名をなした作家が指導者として迎えられると、作家は自分のやりかたで磨いてきた感性や表現力を伝える術を持ち合わせていないことが少なくない。さらに、教え子の作品に強烈な駄目だしをしてしまう。黙っていられないのだ。

弟子として入ってくる連中は、師匠に駄目だしされても、只管耐えて仕事を手伝うことが立場であろう。その弟子ですら、なかなか長続きしないのだから、学校となれば学生は厳しい先生に近づかなくなるのは当然の帰結となる。
なかなかバランスを取ることは難しい。論文を書かない、研究をしない大学教授という人たちが、しばしば批判される。連日のように会議があり、事務仕事があり、講義があるという環境で、なかなか新しい研究を手掛けることは容易ではない。

おまけに大学もまた判りやすい講義や学生による講義の評価やらと、昔と違って教え方まであれこれ指図を受けるようになってきている。先生だけでも大変といえば大変なご時勢である。
常滑市民俗資料館




文学部などという所に入って、どうやって飯を食うのだろうという不安も確かにあったのだが芸術学部に行くことを思えば、まだまだ可能性があるとも思ったのは遠い過去のことである。身近な先輩が圧倒的な才能の差を見せ付けてくれたことに感謝したい。

そして、かつて御大尽の道楽のような学問が、なぜか飯を食える仕事になるという流れがやってきた。それに乗れた幸運にも感謝したい。そして、今、幸運のなかでやってきた仕事を振り返り、まとめる段階に来ている。
  
周りにいる学生は、自分が仕事を始めたころには、まだ生まれてもいないのだから、その時間の長さを改めて実感させられる。そして、その指導者は一緒に別々のフィールドながら仕事を進めてきた人物で、常に三歩くらい先を行っていた人であった。

改めて振り返れば30年の歳月が流れ、一緒に一つの時代を作ってきたのだという実感。今の学生諸君の目にはどのように映るのだろう。飲み会に顔を出しても、あまり近づいてこない。そして、先生と二人で二次会というパターンが出来上がってしまった。それは、それで至福の時間ではあるのだが。 
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歴史的新年の閃き
新たな環境の中で、作陶家の団体との付き合いも密になってきた。決して専門領域ではないのだが、彼等の先輩たちとの付き合いも長かったことから、知識だけは持ち合わせているのだった。

海の魚釣りも畑の草取りも、なかなか思うにまかせないようになってきている。至福の時間ばかりとはいかないのが世のならいということか。 
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