研修生  
常滑レポート index
04/30 研修生
無常
春が来た 
歴史的新年の閃き




2005~2010 常滑レポート index
2011という数字が持つ意味は、これから時とともに大きくなるように思われる。それは、この国のレベルでのことであり、世界全体にも及ぶにちがいないと思われるほど重い意味になることだろう。

しかし、東北・北関東から距離を置く身にしてみると、マスコミが報じる危機的現象が、まるで村上春樹の小説の世界のように、どこか別世界で起きていることかと思えるほど日常は淡々と過ぎていくのだった。
職場での役割の変化も、ほぼ想定内のことであり、キャンパスへの復帰もまたしかりだ。陶芸を志す若者5人を抱えたことは、心理的にやや負担ではあるが、営利目的で養成している訳ではない。

ほぼ四半世紀にわたって行ってきた事業は、いま見直しの対象になっている。スタートしたころは、街中に作家の卵を受け入れる窯屋さんと呼ぶ事業所が何件か存在した。そうした事業所で腕を磨いて独立するという流れがあったのだが。
世の中の構造が大きく変わってしまったのだというほかない。もはや賃金を払って焼き物を量産する事業所は、ごくごく限られた特殊な存在になっている。弟子を抱える作家も皆無に近い。

それでも、過去の修了生はけっして豊かとは言いがたいものの、なんとか飯を食っている連中もいる。かつて、師匠が言わずかたらすに見せてきた仕事の綾を独自に獲得しているのだろう。
常滑市民俗資料館




研修生の研修が終わった後、彼や彼女の働き口まで世話をするべきだという意見もある。若者がいなくなるという危機感を持てという意見もある。はたして、そこまで面倒をみなければ消えうせるようなものであれば、その消滅はいずれ避けがたい現象なのかもしれない。

だれもが詩人になる素質はあるし、生涯に一つや二つの出来のいい詩を作ることはできるのかもしれない。だが、職業詩人となると話は別だ。歌人や俳人も才能ある素人はいくらもいるが、それで生計を立てることのできる人はごくごく限られた存在であろう。陶芸もまたしかりと言わねばならない。
  2005~2010 常滑レポート index
 
キャンパスにはマスターが二人。論文の年を迎えている。彼らに論文の方向を示すことは難しいことではない。しかし、その課題は容易にクリアできるものではなくなってきているのだった。

なぜなら、容易にクリアできる課題は我々先輩世代がどんどんまとめ上げてきたのだ。彼らは、その最新成果を学びながら、そこに残されている問題の山を攻めなくてはならない世代にいる。
 
   
 さてさて、若者たちの前に立ちはだかる壁は、いつどのようにブレイク・スルーされるのだろう。いささか不遜な物言いになるがわれわれ世代が覆した先輩の定説は、かなり脆いものだったように思う。それでも若者は、乗り越えていくのだろう。  page top