無 常  
常滑レポート index
04/11  無常
春が来た 
歴史的新年の閃き




2005~2010 常滑レポート index
平時であれば、人の命は地球より重いという言葉も、さほどの違和感もなく受け入れられてしまうのだが戦時・非常時となると、まるで消耗品のような扱いで人命は瓦礫の中に埋もれてしまう。

それぞれの人の命には、それぞれの親があり、伴侶があり、子があるし、知己もまたあるのであろうが、そうした命の広がりは断ち切られ、時と共に二人称の濃密な関係性は風化消滅していくことになる。
千年に一度という超弩級の自然災害を前にしたとき人は為す術を知らない。ただただ運に身をゆだねるだけだ。勿論、あらゆる知識を総動員してわが身を守り、他の人命を救助し二次災害を防ぐべく次なる行動に移ることで、少しでも被害を少なくすることは求められることではある。


そして、少しでも多くの人々を、と考えて行動した多くの命は、災害の波に呑まれるリスクを負っていることも、また事実だ。利己的に行動すれば自分の命は助かったであろう人が引き返して他者を救おうとして帰らぬ人となる。
大げさな物言いにはなるが、こうした経験を幾度となく繰り返しつつ現代の人類は、その遺伝子を受け継ぎ、文明を形成し、それぞれの文化を育んできたといえよう。多くの悲しみや苦しみは歴史事象の影に隠れてしまうのであった。


外敵となる動物を避け、病原菌と戦い、飢餓を克服し、自然災害に対処する術を身に付けさらにはエネルギーを生み出し、コントロールし、生産力を増大して、技術を高度化してきたのが現代の人間による自然支配の道筋であった。
常滑市民俗資料館




想定される以上の事が起こるたびに、それを想定内に取り込み、犠牲を最小限にすることで構築された現代文明である。そして、最大多数の幸福を追求することにより生み出された快適な社会がある。


しかし、それでも乗り越えられない問題や災害は次々に起こってくるのが現実なのだなと思わざるをえない。まことにもって諸行無常というほかない。人生の喜怒哀楽もまたしかりとなる。喜と楽だけの生涯を願いつつも、避けがたく怒哀は押し寄せてくる。むしろ、それがあるからこその喜びであり楽しみでもあろう。


怒哀の渦中に巻き込まれてしまえば、ひたすらもがくしかないのであろう。必死に迫り来る課題をこなすことで振り返れば、高く安全な場所に居る事に気付かされるということになる。避けられないのだなあ。
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