春が来た  
常滑レポート index
03/15 春が来た 
歴史的新年の閃き




2005~2010 常滑レポート index
 絵に描いたような寒い冬があって、雪が積もって、インフルエンザが流行って、そして、眼が痒くなり鼻水が知らぬ間に流れ出るようになって春が来た。

 亡父の一周忌法要も終えて、命日を迎えた19日、昨年訪れる約束を土壇場でキャンセルしてもらった山陰の研究会に改めて出かけてきた。

 一昨年も調査でお邪魔したのだったが、そのときも12月には珍しい好天で伯耆大山は、その秀麗な山容を見せてくれたのだったが、今回の訪問でも実に美しく冠雪した姿を見せてくれるのだった。

 出雲大社が鎮座し、大山を擁する出雲・伯耆のエリアは南北朝の動乱期に後醍醐天皇が幽閉された地でもあり、中世においてもただならぬ力が蓄積されていたものと思われる。
 そして、そのエリアで発掘される中世遺跡からは常滑の焼き物が出土するのだが、常滑にルーツを持つ北陸越前の焼き物も含まれ、その識別がかなりの難易度を要するのであった。

 今回は、その越前の研究者と僕とで実物の資料をもとに検討を加えるという趣向。実に勉強になるものであった。そして、長く一緒に活動してきた越前の研究者が、家督を譲ったと称して、若いお弟子さんを連れてきていたことに、いささかの焦りを覚えたのであった。

 出土品の年代になると、いつもお弟子さんを呼んで彼の見解を求めるのであった。なるほどこういう風にして新旧交代をするのかと。しかし、彼がかれこれ40年ほどもかけて築きあげてきた研究の蓄積拠点であった展示施設は、鳴り物入りの指定管理者制度でうまく継承ができない。
 彼が職場に残れば、指定管理者のできないところを彼が補い、形として指定管理者制度は、うまく機能しているということになってしまうことから、彼は職場をきれいに去るのだと飲み会で話してくれた。

 芦屋市の美術博物館の学芸員全員退職というのもショッキングなニュースであったが、ここでも指定管理者制度の導入による経費削減が根源にある。学芸の専門研究を放棄して手軽に入手できる情報を操作することで形を整えるのが学芸の仕事であれば指定管理者制度でも事は足りるのであろう。
常滑市民俗資料館




 しかし、その元となる情報は誰が生み出し、誰が保証するのだろう。ウィキペディアの情報を誰が供給してくれるのだろう。そして、その信憑性を誰がチェックするのだろうかということが、どうしても危惧されるのだった。

 常滑でも財政悪化の進展で、しばしば指定管理者制度の導入が議論され、後継者育成事業の縮小再編が図られようとしている。過去の実績を見れば、これまで通りで良いはずはないのだし、時代も大きく変わってきているのだ。

 よって、時代に即した変化が求められることは間違いない。そして、無駄は排除するべきではあろうが、何を無駄とみなすかが慎重に問われねばならないのであろう。初めから必要最小限でやってきたようにも思えるのだが。
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