「文化・芸術とは無縁なおっさん」論

丸山明宏さんによれば、日本の40代〜60代の男性の多くは、文化や芸術とは無縁な存在なのだそうです(朝日新聞822日付夕刊コラム「彩・美・風」より)。その理由は「忙しいから」というのだそうですが、丸山さんは「忙しい人ほど、美しいものに触れて心に栄養補給する必要がある」と言います。そして文化や芸術になじみのないおっさんたちにアドバイスすることとして、二つの要件を挙げています。

ひとつは、手の込んだ本物の芸術を見よということで、その例として伊藤若冲や尾形光琳の絵を挙げています。もうひとつのアドバイスは、「自分で何かを作り出す作業をやってみる」ことだと言ってます。自分では「才能がないと思っていたけれど、やってみたらまんざらでもなかったという例はいくらでもある」ということです。

そういう丸山さんのアドバイスを聞いて、そうか、じゃあひとつやってみるか、と思う40代〜60代のおっさんは現実にはほとんどいないのではないかと僕は思います。もしいたとしたら、元々その人にはそういう天分があって、たまたま丸山さんのアドバイスがきっかけになって、いままで抑えていた気持ちを前に推し進めることができたのではないでしょうか。

僕自身も40代〜60代の日本のおっさんの一人として分かることは、現実の労働とか社会的責任とかが過酷で、広間の仕事が終わると本当にぐったりと疲れてしまっているということです。だから、休息の時間や1日に恵まれると、その間は何をやろうという気力もわかずに、ただ1日ボーっとしてるのがいいということになる。スポーツランドやゴルフや飲み屋に行くほどの人はまだ元気な方だということではないかと思います。ただボーッとしていたいというおっさんたちに、伊藤若冲や尾形光琳のような絵を見てもらおうというのは、どだい無理な話ではないかというきがします。

しかしにもかかわらず、そういうおっさんたちにもなんとか、芸術や文化に触れた時の心が豊かになる感じを体験してもらいたいものだという気持ちは消去しきれません。なんとなれば、それによってそのおっさんの人生というのがまったく違う内容のものになってくるからであり、またそれによって周囲の人たちだって幸せになれるかもしれないからです(疲れきって、さぶい親父ギャグを飛ばしているおっさんを見るよりも、テレながらやさしい表情を浮かべているおっさんを見ている方がよほど心和むというものです)。

だから、おっさんたちに美術や文化に関心を向けてもらうようにするにはどうすればいいだろうかということを、やはり考えてしまうのです。でも丸山さんが言われるように、手の込んだ芸術を鑑賞することとか、自分で何かをやってみようということを提案するのはあまり効果がないように思えます。ではどうすればいいんでしょうか。

僕が思うところでは、文化・芸術という事柄と、おっさんの「自分」というものの間の垣根をなくするようにすればいいのではないかということです。つまり、「あなたは今のままで、すでにしてひとつの芸術的な表現なのです」と言ってあげることではないかということです。たとえば、何もしないでボーッとしているということは、それ自体ひとつの表現であるということに気がつかせてあげるということです。ただここで、ひとつだけどうしてもクリアしないといけないハードルがあります。それは、ボーッとしていたということが他者にも伝わるような記録を採るということです。それもしたくないということであれば、そのおっさんは最早文化・芸術からはかけ離れた精神性の持ち主であると言うほかありません。しかしそれはひょっとしたら、自分の存在が認められたいという欲望を超越した、聖人的な境地の表明であると考えられなくもありません。