「芸術」批判(1)
「美術」という言葉の字面だけを見れば、美と認められること全般についての術と受け止めてもいいはずなのに、現代日本語の意味としては絵画や彫刻などビジュアルな造形表現のジャンルを指す言葉として使われてきた。美と認められること全般についての術は通常「芸術」という言葉で表わされている。そしてそのどちらも、歴史の上では明治になってから使われるようになったということである。

ついでに言うと、「工芸」とか「工業」といった言葉も明治の初期に造られた熟語である。ということは、明治以前、つまり江戸時代までの日本語にはそういった言葉はなかったということである。

このことは、僕ら「工芸」の世界の人間の間ではときどき話題になっていることで、最後に「だから江戸時代までの日本の文化には、美術と工芸と工業の区別はなかったのだ」という結論を確認して、その場はお開きということを繰り返してきたのである。
ムハンマドがイスラム教を興してから後の話だが、アラブのある国で新しい国王が戴冠した日の夜、王様の夢枕にギリシャの哲人アリストテレスが立って何でも質問してよいというので、まず最初に「この世でもっとも美しい事柄は何か」という質問をしたという説話を、アラビア科学の歴史を書いた本の中に見つけた(だいぶん前のことである)。

それを読んだ時に、勃興期にあったイスラムの文化というのはレベルが高かったんだなと、昔の人の見識の高さに感服した。こういう場合、通常ならば国政をどのように治めていけばよいかとか、国を豊かにするためにはどうすればよいかとか、そういう質問を思いつきそうなものだが、アラブの新国王はいの一番に「美とは何か」ということを問うたのである。昔の人はそれだけ「美」の問題を重視していたということでもある。
現代の日本の政治家や企業のオーナーがそういう問いを発することはまず考えられない。その理由は何かというと、僕の思うところを言えば、「美」という言葉が「美術」とか「芸術」という言葉に封じ込められてしまったからである。つまり専門化した。美は「美術」とか「芸術」といった専門領域で取り沙汰される、特殊な事象として見なされることになったからである。
美を論じるということは、天下国家を――現代風に言えば政治、経済、法律を論じることと同じぐらいに、あるいはそれ以上に重要なことだと僕は思っている。何故かと言えば、それは「人間が生きること」の根本に関わっていることだからであり、しかも政治や経済のように物質的に拘束される関係性のレベルだけではなく、メタフィジックな領域をも射程に含むからである。

それが今や、政治や経済や訴訟事にエネルギーを注いだ後の、たまたま余った時間をひまつぶし的に、パラパラと風俗週刊誌をめくるように目配りしておく程度のものとしてしか認知されていない。そして美術家とか工芸家とか音楽家とか小説家とか自分にレッテルを貼っておかないと、この人は何をやって食ってるのかしらと不審の目で見られてしまう。
情けないことに、美術家や工芸家や音楽家や小説家を自称する人たちそのものが、美というものをその程度にしか考えていない。一体何のためにものを作ったり表現したりするのかということを、本気で、自爆テロに対峙するレベルで考えていない。何故そうなったのかを考えていって、僕としては「近・現代芸術」の総体を批判するという気持ちを次第に深めてきつつある。