「科学」と「アート」の関係(続続)

一口に「科学」と言っても社会科学もあれば人文科学もある。芸術学は立派な人文科学だ。自然科学ばかりが「科学」ではない。

「科学」は西洋近代の専売特許とは限らない。原始、古代、中・近世にもそれぞれの科学があり、ギリシャ、エジプト、メソポタミア、インド、中国、アラビアの科学があり、更にはアフリカの部族やアメリカ・インディアンやムー大陸やインカやそれに日本の科学というのだってある。突き詰めれば、人間一人一人に一人一人の科学があるだろうと僕は思っている。ちょうど人間一人一人に一人一人の「アート」があるように。


(氣)

そういう中で、僕がいま大いに興味をそそられているのは中国の科学である。

中国の科学を支えているのは「気」の思想だと思う。西洋近代の「科学」は「気」を物質の現象とは認めていないけれども、立派な物質的現象であると思う。ただ、数量化して観測することができない、あるいはその方法が見つかっていないだけだ。中国の科学には原子論(物質は原子で構成されているという考え方)がないと言われるが、そりゃあそうでしょう、物質の構造や運動はすべて「気」の作用で説明できると考えているのだから、原子論を立てる必要は全くないのだ。

(王庭筠 1151~1202年)

中国の科学技術が生み出した最大のヒット製品は製紙技術、つまり「紙」の発明だ。これはおそらく、最低限でも現代のコンピュータ技術の開発に匹敵することは間違いない。そして製紙技術の開発が、中国においては墨書や水墨画を生み出した。

中国で水墨画が発展していくもう一つの要因は「気」の思想であることは言うまでもない。水墨画で最も重要な事柄は「気韻生動」の表現だと言われる通りである。紙と墨と筆と気と、これらの物質的な作用が水墨画の世界を産出していくのである。まさしくこれは「科学=アート」の世界に他ならないではないか。

12世紀~13世紀の南宋の時代というのは中国の工芸美術史上の絶頂期をなすと言ってもいいと思うが、まさしく科学技術とアートとが混然一体を成した時代だ。この時期には「気」の思想の面においても、朱子という学者が出て儒学を新たな装いの中に蘇生させた。

朱子の儒学(朱子学とも言う)の特徴は、理気二元論と自然観察を両輪とする中国的合理主義(スローガン的には「格物致知」という)を確立した点にある。そしてそれが、中国の工芸美術の精華としての南宋アートを創造したのである。中国的創作の根底にある体用論(「気」の作用をめぐる哲学体系)を、今日改めて再確認しておく必要があると僕は思っている。


(梁楷 『李白吟行図』 南宋)

[お知らせ]

1回で紹介しましたが、千葉の陶芸を特集した「ある雑誌」すなわち『大器別冊』が発行されました。興味のある人は下記HPをご覧いただいて、注文して下さい。

と言っても現在加工の途中で、CONTENTSなどもまだ表記されていないので内容がよくわからないと思いますから、簡単に紹介しておくと――

1 千葉県在住の陶芸家(日本工芸会に所属する人が中心)40人の作品を、見開き2ページで紹介。解説文は僕が書いています。(これがメインです)

2 陶芸家と評論家の対談、ディスカッションなども掲載。

3 僕の文章(「千葉の陶芸はなぜ元気か、その先に開けているもの」)も寄せています

では、よろしく。

URL http://www2.odn.ne.jp/taiki-plus/top.htm