(幡横穴6号玄室右側壁の鳥・・・・茨城県常陸太田市幡町)
 
遠い昔、人がまだ、きちんとした遠近法を手にしていなかった頃、自分のイメージに浮かぶものを、まず地面や壁に線刻で刻み描いた・・・・。そこに描かれたものたちは、実物を超えた霊力を持ち、それ故、深く強くイメージを喚起したに違いない。



上の画像は、茨城県常陸太田市幡町の幡横穴6号玄室右側壁に描かれた鳥の線刻画である(至文堂 日本の美術「古墳の絵画」より)。玄室に描かれているので写生ではないだろう。どういった想いで描いたのか想像の域を出ないが、恐らく狩猟の成功や、さまざまな獲物たちの数が増えることなど、食の確保のための祈願成就ではなかったかと推察できる。


古代中国では、「風」は「鳳」と書き、幸運の「気を」運ぶとされていた。そして、風は鳥の形をした風神と考えられていたことから、鳥は気を運ぶ神聖な神の化身でもあった。若しかすると古代の日本でも、古代中国と同じような象徴性を帯びていたかも知れない・・・・。そうとでも考えない限り、上の画像にみる鳥の線刻画の生き生きとした生命力や、けた外れた存在感は理解できない。
 

(幡横穴6号玄室右側壁の船・・・・茨城県常陸太田市幡町)
 
重層的に積み重なった文化の洗礼を受けてしまった僕らは、もはや上の画像にあるような稚拙ではあるが、生き生きとした生命力に満ちた線は描けない。何と言おうか、それは、もう何時間眺めていても飽きないと思えるほどにグッと来る、言葉に表せないほど、もうたまらない線なのだ。


何故こういった感動が立ち上がってくるのだろうか・・・・・・。



人が「ものを描く」という衝動を、どうして持つのか、そして、それはどこからやって来るものなのか・・・・・一本の「線」を見て、ここまで魂を突き動かすのは一体何なんだろうか・・・・・この「線」を前にすると、そういった始原的な問いが湧き上がってくる。



この稚拙さ(プリミティブさ)に、僕らは何を見ているのだろうか・・・・。巧みに遠近法を駆使して、達者に描くことを超える表現がこの「線」にあるのは何故なんだろうか・・・・・・。
 
30年前、鎌倉彫の世界に入った僕は、何とか作家になるべく必死だった。この世界入って直ぐ、先輩の影響もあり、大きな公募展へ出品する作品作りに明け暮れていた。丁度その頃、工房の間近にあった鎌倉近代美術館で「ポール・クレー展」があり、おやじ(入門した博古堂の社長のことです)からチケットを配られていた。

そんなある日「君達、クレー展はもう観たかね・・」と仕事中訪ねられた僕は、勝ち誇ったように「公募展の作品作りで忙しく行かれませんでした」と応えたところ「公募展で忙しい・・・・・馬鹿野郎!」と叱られた。

(P・クレー)
 
  そう、ホント馬鹿でした。当時の僕は、クレーの良さはまったく理解できていませんでした。

その25年後、ドイツで個展をもつ機会に恵まれた僕は、雨の中たまたま出かけたデュッセルドルフの美術館で500点に及ぶP・クレーの直筆画に出会い、その素晴らしさに衝撃を受けました。そして、鎌倉彫入門当時の”おやじ”の有難みに気付いたのでありました・・・・・・。



本日(5/10)日曜美術館(NHK教育)は、クレーの紹介です。必見!
上の画像は、P・クレーの晩年に描かれた鉛筆画です。彼はその晩年、盛んにプリミティブな線描画を残した。秀逸したインテリの彼が、それまであった遠近法を知らなかったはずがない。難病を抱え込み、鋭敏な感性は恐らく己の死期を確かなものとして感じていたに違いない。この時期に敢えて「線描」を残した意味は深い。



このクレーの「線」は、正しく冒頭で触れた原始の線描に限りなく近い。そして、この線描から、近代までに蓄積した人類の素描のリソース(知的資源)を完全にリセットしようとしているのを感じることが出来る。



僕ら人類の営為である描くという歴史の蓄積は、それだけでは何ら魂を揺り動かすような霊力をもつものとは限らない。逆に達者な描写は、元々僕らの祖先がもっていた言霊にも匹敵する霊力を失っていることさえある。



人が、「描く」ということの始原に立ちかえりたいと願うのは、文化の洗礼を受けることが、必ずしもイメージのもつ力を養うことになっていないことを知っているからだ。あくまでも手で描くということだけに限定して言えば、一本の線に託された重みは、何千年・何万年前の原始の方が遙かに重かった。
 
   
高井田横穴玄室への通路玄室左側壁の人物群  大阪府)
 
  こういった”線”を目の辺りにすると、今まで僕らが持ち続けてきた、描くことのリソースを一旦すべてリセットしたい衝動に駆られる。一旦リセットし、初期化して素になったところから、さまざまな情景を感じ直したくなる。そして、その時点でもう一度、霊力のこもった”線”を引いてみたくなる。  
 
(長男の保育園当時の絵)
 
  必ずしも文化をリセットする以前の状態ではないのですが、子供の絵も、原始と同じような力をそこに見て取れることが多くあります。息子の小さい頃の落書きをみて「こんな風に描けたらいいのにな。。」とよく思ったものです。(勿論、当の本人は、もっと達者に描きたかったに違いありませんが)。



現代に生きている以上、僕らは文化のリソースを初期化するのは不可能です。でも先ほど触れたP・クレーは、修行僧がそうしたように、文化の「初期化」の方法を独自に掴んでいたのではないでしょうか。恐らく、さまざまな難行を積んで・・・・。
 
    

















(落書き錫研き折敷下絵)
 
   霊力のこもった”原始の線”と同じ土俵で語るのは、気が引けますが、僕も「落書きシリーズ」では、好んで線を引いています。不可能なことですが、その都度”初期化”のイニシエーションに近い心理的作業を無意識にしているようです。どんなにパターン化された描写でも、毎回違った光景が表出するのをどこかで期待している自分がそこにはいます。なので、その表現態度は「再帰的」です。つまり、出来っこない初期化(文化のリセット)を初期化するというメタな行為の繰り返しです。



いつか、文化を初期化する術を会得し、原始の風を感じる”線”が引けたらと念じつつ、これからも線を引き続けていきたいと思っています。