今の器---「ミニマル」と「装飾」 | ||||||||||||||||||
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僕の工芸史 |
仕事柄、ギャラリーの方から器の話を伺うことが多い。そのお話によると、ここ十数年モノトーンで均質な感じのものが多く出るという。つまり、人気があるということらしい。そして、たまに婦人雑誌などを覗いても同じ様な傾向にあることに気付く。
僕自身もミニマルは好きだ。けれども出身が鎌倉彫なので、装飾には特別な想いもあり、この傾向はちょっぴり寂しいな〜と感じる。そこで、この傾向が一体どこから来るものか考えてみた。 まず思いつくのが、昨今の『健康ブーム』だ。 経済力も上がり文化が円熟すると、人はグルメへと走る。結果として飽食となり健康を害する。そして、飽食故の健康志向は、勢い食卓の主役を「器」から「食材」へとシフトすることになる。
主役としてふさわしい「食材」をより際だたせるため、あらゆるノイズはシャットアウトしピンポイントでズームアップしなければならない・・・という発想によって余計な主張をする「装飾」は、食材の見栄えを損なうノイズとして排除されてしまう。そして、コミュニケーションツールとしてあった器は、そのポジションを食材へと譲ることとなった。 |
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81年『工雅』さんでの初の個展から六本木デビューまで、意識して「装飾」を抑えていました。この頃の作品は、ここでいうミニマルな器の制作に終始していたように思います。 でも、無意識には「いつか思いっきり装飾的なものを提案してやるぞ〜」とその時期を虎視眈々伺っていました.............。 |
(1985年 合鹿椀・・・布着せ錆仕上げ) |
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日本の食は、ここ数十年でかなり欧米化したが、併行して地域の共同体も空洞化してしまった。 かつての共同体が存続していた当時の寄り合いや祭は形骸化し、僕らは「公」としての食を囲む「饗」を失った。そして、欧米のパーティーというコミュニケーションのスタイルは、日本の生活習慣やその居住空間の決定的な違いもあり、未だ日常生活に定着できないでいる。
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実は僕、ミニマルな器や根来、そして李朝の写しをやらせたら無茶苦茶いいものを作る自信があります。実際自分でもそれらのタイプは好きですし。 でも、作っていて楽しいのですが、何故か実存を満たされないというか、あまりクリエイティブに感じないのです。ある法則に沿っていればいくらでも出来てしまう様な感があります(多分儲かるとは思いますが)。 |
(1986年 椀・・・布着せ錆仕上げ) ((1984年 布着せBan「左右」)) |
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「ミニマルな器」の一般化だが、さらにもう一つ考えられる。それは、器を作る上での経済効率だ。
器を扱うマーッケットでは、一様に市場原理が働く。従って、ものには妥当な価格があるとはいえ、やはり「安い」は優先順位が高い。結局、作り手は単価を抑えるために装飾の工程を削る。
シンプル・イズ・ベストとはよく言ったもので、ミニマルは、もはやスタンダードとして君臨し、更に古典として輝き続けている。しかし、人間のもつ表現欲求は、ミニマルの対極にある「装飾」が担ってきたと言えるほど、実は装飾のもつ意味は大きい。器も例外ではない。 |
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(1984年 布着せ椀)) (1984年 呂色・朱布着せ椀)) |
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経済原理が支配する現代では、ベーシックなミニマルな器は侘び寂を代表するものとして定着している。しかし、人間の美術の歴史は、必ずミニマル(侘び寂)の対局として「装飾」を位置づけて展開してきた。それは、丁度、侘び寂を代表する桂離宮と装飾を代表する日光東照宮の対比に代表されるように・・・・。高度資本主義社会の今の日本でも、定番となったミニマルの美術的対局として、新しい装飾が望まれる理想の生活世界を代弁する物語として求められているはずだ。
人の表現の歴史は、「ミニマル」と「装飾」を振り子のように反復してきた。 何れ、経済原理と「健康」という呪縛を超え出て器としての「装飾」は復権するだろう。それまでは、シックで粋なミニマルな器が闊歩し続けることになりそうだ。 |
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90年以降、好評だった椿梅椀で自信を得、ニュートラディショナルと銘打って堰を切ったように「装飾的なるもの」を制作し続けるようになります。 |
(1990年 椿梅重蓋) |
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