舟越桂の木彫

2003年夏(東京都現代美術館) 彫刻家・舟越桂の神髄に触れることができたこと、そして彼の表現の深さを知ることができたことは幸運でした。

確かに彼の表現は、ヨーロッパの古層に流れるイコンと源流を同じくするものを感じます。それ故、またしても欧米の亜流か・・・・という声も聴きます。しかし、、それは彼がクリスチャンであることに起因しているだけかも知れないのではないのでしょうか?詰まり、キリスト教圏の精神的DNAを共有していることから来ている故なのではと感じます。

そして、有元利夫ともよく比較されます。なるほどよく似ています。特に、二十世紀を象徴するモダンアートと厳しく峻別した頑固なまでのその伝統的スタイルと姿勢が似ています。そして、両者ともイコンからそのインスピレーションを得ているところもまた同じです。彼らにとっては格好いい現代美術より、あくまでも綿々と続く人間の宗教的なるものにこだわることの方が重要なようです。

1981年 「春」 有元利夫作

ここで言う「宗教的なるもの」とは、「精神的なるもの」とは明らかに違うと僕には思えます。
その違いとは、人が「死」というものを意識的にであれ無意識的にであれ感じつつ存在しているという前提のあるなしです。人の命が有限であることを知りつつ生きていると言い換えてもいいかも知れません。ここが、いわゆる現代美術とは全く異なるところです。

              

              1988年 「冬の本」              1998年 「冬の会話」            2000年 「山を包む私」

現代美術とは、一口に言って「美術の概念を広げること」にその本質があると言えます。それはそれでとても重要です。僕自身、世に言う現代美術は文句無く好きです。しかし、余りにも概念的でかなり多くの人をその表現から遠ざけていると思えるのもまた事実です。
その点有元さんにしても舟越さんにしても間口は広く、あまり抵抗無く近付いて行けそうです。(本当はある意味、現代美術以上に難解な部分を秘めていますが)。

二十世紀の美術界を席巻した現代美術なるものの基本的なコンセプトは、一口に言って「科学的なものの見方による表現」(essay科学的表現の停滞と消費芸術の台頭参照)といえます。
 この視座に立って表現をしていくと、人の「悲しみ」とか「憂い」とか、ましてや「死」にまつわる様々な人の感情の起伏などは視野に入ってきません。
 勿論、現代美術でも「死」をあつかった作家はいました。しかし、それは極めて客観的に、主観を限りなく遠ざけた「死」というものを表現することで、より「死」のリアリティーを伝えようとするものでした。確かアンディー・ウォーホールだったと思いますが「金曜日の惨劇」?と称して、交通事故の悲惨な現場写真を連続して複数枚展示するといった表現や「オレンジ色の惨事」といった作品があったと思います。

1963年「オレンジ色の惨事」

とても素晴らしい表現で、僕自身今も高く評価している作品です。
しかし、「死」とはこの様に切り取られた断片ではありません。適当に連続的であったり、とても曖昧で掴みきれず、ある時は重く、そしてある時はふわふわとその辺を浮遊しているような、きちっと捉えきれないものです。

「死」を科学的に捉え、それを表現に置き換えようとするとどうしても限りなく主観から遠ざかった表現にならざる得ません。そして、僕らはこの曖昧な「死」というものを客観的に捉えようとあがいてきました。

でも舟越桂の彫刻は、そのモデルの視線の遙か遠くにあるメタファーとして「死」を感じ取れるように表現されています。勿論、究極的には「死」あるいは彼岸といってもいいのですが、そのほか言葉にならないような様々な感情がいくつも折り重なって表現されています。

現代人は、「死」という忌まわしい得体の知れない不吉なものを身辺から遠ざけ、まるで自分が永遠の命を授かったかのように振る舞っています。僕もそうでした。
 フーコーが言うように「死」とは客観的に見ても点として存在し得ない(「臨床医学の誕生」)のです。
そんな当たり前の事実をそっと目の前に置いてくれているような舟越桂の木彫は、20世紀・21世紀を生きる中で僕らが捨て去ってきた、そして今も捨て続けている大切な何かを目の前に優しく呈示してくれます。

人生が攻めばかりではなくなった自分の今の状況の中で、人類の歴史が始まって以来の素朴で根源的な問いを共有させてくれる舟越桂の作品は、途切れがちな過去の無意識を呼びお越し、それを現在の無意識へと静かに導きます。

そんな、不完全さをぎりぎりまで残した彼の作品にこの時期出会えたことは本当に幸運でした。

遠くを見つめている人は、
実は、自分をじっと見つめているのかもしれない。

あの日、あのとき、あの場所にあのひとがいた、
という感じを彫刻にしたい。      ...........................................    舟越 桂