7月23日               12歳・・・・

体調が戻ってくると、不思議と怒りも戻ってきます。そこで、やはり黙り続けるのは止めることにしました。

「怒り」とは、存在の有り様のそれです。(元気になると早速小難しい表現になります、困ったもんです、しばしお許し下さい)。
 つまり、先日起きた長崎の12歳の少年の「事件」のことです。勿論、彼に対しての「怒り」ではありません。その様にしか存在し得ない[12歳の少年]と加害者と被害者に関して取る僕らの態度です。
 近代刑事法を義務教育で徹底して教えずに来たことの付けでしょう。

無意識のレベルでは、おつむの悪い大臣のようにあのように変態で残虐な殺人を犯した人間は少年といえども厳罰に処し、同じく「親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」という声があることを無視できません。

僕は、「法」の前に人間があると思うので、全く納得できない状況で我が息子や妻が「なぶられつつ殺された」ならば警察の手を借りず息子、あるいは妻を殺した奴をこの手で殺すことにしています。たぶんあっさりとやってのけると思います。(この点尊敬する吉本隆明氏と同意見です)。

 ただ、今回の事件は12歳の少年の取り巻く状況が違います。加えて未だ情報がオープンになっていません。そのため彼やその親に何らかの重罪を!という気には全くなりません。

 欧米のように教育システムの中に「自己責任」を徹底させるシステムを作り、子供自身に自分で「選択」することの余地と責任を教え込んで来たならば僕らに子供に厳罰を処す権利があると思います。でも、僕らは彼らにその様な自由な「選択」と「余地」を与えてきませんでしたし、今も与えていません。 彼らに環境を選択する自由は与えていません。
とても不自由な環境しか提供せず、そこで頑張れ!勝ち残れ!と叱咤しているにすぎないのです。

この事件を前にして僕はあまりにも多くのことを言いたくなります。そこで今日は、「性」に限定して述べることにしました。

この事件の直後あるメディアのアンケートは次のような結果を公表しました。

「あなたの息子さんが同じような犯罪を犯すと思いますか?」という質問に・・・
父親の回答は75%
「もしかしたら・・・・と、自分の息子に限ってやらないという自信はない!」
母親の回答は75%
「自分の子に限ってそんなことはない!信じています・・・・」

というものでした。

いつものように低脳な知識人は、事件の根本原因を暴力性と性の充溢したビデオやコミックにその影響を決めつけようとしする輩ばかりです。「こんな人間とは思えない犯罪」などと事の起こる根源を新しいメディアに見つけようとします。

僕ら人間は、昔から「人間とは思えない」愚行・奇行を続けてきました。
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江戸の頃、大川(現在の隅田川)などには多くの心中死体が上がったといわれています。「品川心中」などといった落語の名作があるほど心中はそれほど珍しい事件ではなかったようです。(現実は、この古典落語を良く聞くと理解出来るように厳しい庶民生活があったことが伺えます)。
 そして、ここが面白いのですが・・・・・庶民は心中死体が上がるとその「死体見物」にこぞって屋形船?を出して出掛けたそうです。そして、なかにはその死体を棒でつついたり、ひっくり返したり、中にはその遺品や遺体そのものを家に持ち帰った者までいたそうです。(当時の文献を読むとさらに詳しく、結構おぞましい「健康な」好奇心で溢れています)。

先ほどのアンケートに戻ります。

ここに見る父親(男)と母親(女)の反応の差は一体どこからやってくるのでしょうか?

「性」とは生理であると同時に「観念」でもあること、それも自律した強固な観念であることを案外父親はその青春期 を振り返り理解できます。

 以前、short columnでも冗談交じりで、若い頃は僕自身、アルカリ性の「性」の字を見ただけで興奮した・・・・と述べたことがあります。これは、決して冗談ではないのです。

そして、今回の【長崎幼児殺害事件】を少年の犯罪と各報道が報じた時、僕はある違和を感じました。それは、この手の事件に纏わる状況は少年に限定されたことではない!と直感していたからです。
 案の定、数日後おぞましい少女に纏わる同根の事件(少女4人誘拐、監禁事件)が起きました。

多分、女子は小学校と中学校で「月経」のメカニズムや「妊娠の怖さ?や不思議」を男子に隠れて学ぶことがあっても、男性の「性」のメカニズムを学ぶことはなかったと思います。
 現に僕のかみさんなどは、いまに女子児童も今回の12歳の男子児童と全く同様な事件を起こすなどと見当違いの男女同権?をナイーブに予想したりもしています。

 これを機会に「性」とは、特に男子にとっては重く逃れがたい、そして尽きない「観念」でもあることを我々(特に女性)は学ぶべきでしょう。でないと、体温が残っているほど「生」な女子児童の下着がブルセラショップで数万で売買されている事実と、中高生の援助交際が5万円で小学生に至っては8万円という相場の意味が理解できないのではないでしょうか。
 
 決してエロ本やエロビデオを規制しても何ら根本的な解決にならないことの本質がここにあります。
事実僕自身、硬い家庭でしたから我が家にエロ本のたぐいのものは残念ながら一切ありませんでした。でも、せっせと健全?な「家庭の医学」で「性」の知識と観念を増殖させたし、ある意味エロ本以上に危険で倒錯した観念さえ保持出来ました。

 これらの観念が犯罪に至ってしまうボーダーは、どのようなメカニズムから生まれるのか僕らはしっかりと検証しなければなりません。

近代家族を根底から支えた恋愛至上主義と、そこから生まれた「愛」という不可解な感情をしっかり解明しないと、これからも世の中の規範からはみ出る「事態」が繰り返されるたびに「異常」という括りで特殊化し「安心」を手に入れるという愚行も繰り返されることになります。これらをしっかり検証しつつ新たな刑事法も再検討しなければならないでしょう。

 欧米の被害者への徹底したサポートは、加害者への対応に比べどういう訳かあまり我が国では多くの情報を伝えられてきませんでした。(民主主義同様、やはり近代刑法なるものも借り物なのでしょう) 。

僕らが、本気でこの「不景気」でたとえている「超資本主義」の難関を超克するということは、「景気対策」ではダメなのです。精神はどうしても経済に規定されてしまいます。同様に経済も精神の有り様に規定されるよう出来ています。(この意味でマルクスの言ったことは今でも生きています)。

やはり敗戦(近代化後の世界大戦)のダメージは相当に大きかったのでしょう。でも、そんなこと言っていられる状況ではありません。僕らには、世界に誇れる数々の文化があったではないですか。欧米の良さは、かってお隣中国から学んだようにしっかり頂いて(これが未だ中途半端ですが)ポスト近代、ポスト欧米を本気で実践に移さなくてはなりません。
いや、特別のことではありません。今それぞれの居るところで、それぞれが抱えている障害を乗り越えるようにすればいいだけです。勿論それが一番難しいことも分かります。でも、それが一番の近道です。

出来ると思いますよ。 綿々と続いてきた僕らの文化はそんなにちゃちなものではありません。 

僕は「迷ったときは古典に帰れ」と鎌倉彫の修行当時、師匠(社長)に言われたことを未だに実行しています。 

明日香・斑鳩に想いを馳せ、奈良そして江戸の庶民文化、きつかった明治維新の知恵から学ぶもの(内容よりモチベーションのことです)は大きいことは言うまでもありません。

この難関はそう容易いものでもありませんし、心して掛からないと自滅しかねません。でも、僕らはそう愚かでもないと思います。事実、今回の事件が起きたとき宮台真司の携帯はマスコミによる取材依頼でパンクしたそうです。これからの「知恵」が何処にあるか、ある程度見えてきている証拠です。この「知恵」を何とか共有するようにしたいものです。

事件から何を学ぶか、それが死と悲しみを無駄にしない唯一の方法であり,救いではないでしょうか・・・・・。

合掌