1月26日                    色について

「夢の中で君にもらったとしたら」  (Φ5×6×25cm) 檜材にインク・日本画顔料・水彩絵の具その他で着色したオブジェ

 この作品は、二子玉川高島屋の今は無き「ギャラリー・アルテスパッツィオ」での個展の際出品した作品です。もう、15年位前になるでしょうか?結構気に入ってます ・・・^^;

 この作品のコンセプトは、二十年以上前から感じていた「現代美術が追いやってきた色」を敢えて使っていきたい・・・・・・というものでした。

 それでは、その追いやってきた色とは・・・・・・?

 当時の僕は、一見するとちゃらちゃらしたものに見える、少女漫画や童画に使われていた「深みのない色」(サブカルチャー・カラー)に着目した。↓↓↓↓↓↓ 

 それまで伝統的に奥深い色(カルチャー・カラー)とされていたものを、極力避けた。↓↓↓↓↓↓

「深みのない色」=(サブカルチャー・カラー)、奥深い色=(カルチャー・カラー)という分別は、今だから言えることで、当時はカルチャーからサブカルチャーへ文化の主体が移行したと認識していた知識人は、我が吉本隆明を除いて見あたらなかった。
 そもそも「サブカルチャー」という言葉を意識して使った知識人は、吉本氏が最初だった。(当時,「海燕」という月刊誌で「サブカルチャー論」を展開していた。)
 そういえば、確か1980年に、機を見るに敏な横尾忠則が、イラストレーターから敢えて「芸術家宣言」をして転向したのを記憶している。

 今では、万人が「サブカルチャー」へ文化が移行したことを認めているので、声高に「サブカルチャー」を唱える必要もなくなってきた。その裏をとるのはたやすく、芥川賞作品があまり読まれることなく、代わりに素晴らしいアニメや、深いコミックが市民権を持って深く浸透し支持を得ている。

 今頃になって、現代美術界では「サブカルチャー」が取り上げられ、昨年横浜美術館で「奈良美智/村上隆展」が開催され、それなりに話題になったが、そういう意味では「現代美術」という括りそのものが終わったと言える。

   

 まっ、マルクスがいうように文化を規定するのは経済だろうから、当分美術界のみならず各界もワクワクするようなムーブメントは起きず、停滞した状況が続くだろう。

 ちょっと寂しい。