4月19日                        「夢の話」

 4/4の夢・・・・・・・

 ・・・・・・・現在、関東大会を迎えて厳しい練習の毎日が続く次男・耕介(高3・サッカー部)が、くたくたに疲れて帰宅した中2当時の自分を、余裕を持って微笑みながら向かい入れ、いたわっている・・・・・・・・。

 同一人物がそれぞれ違った年代で、同一の時空間を共有する夢は初めて見た。夢の持つ不思議さを象徴する精神分析学のサンプルにもなりそうな深い次元の夢だった。

 受胎した母胎の内で、胎児はその感覚器官を妊娠から出産までの、およそ十ヶ月の間に完成させる。 中でも聴覚は最も早く完成する器官と言われている。

 注意深く「夢」を観察すると、入眠時 Dream View (夢の映像)が表出し、完全な入眠となる時点でこのDream View が「音」に変換する(短絡する)時点がやって来る。
僕は、その時点でその「音」に驚き、目が覚めてしまうことがある。その音とは、車のドアが「ドンッ」と閉まるような音だったり、あるいは床に堅いものが落ちたような音だったりする。

 夢の映像の音への変換は、入眠時の意識の減衰と並行して、始動した感覚の働きが、より原始(低次)の感覚器官へ委譲したことを意味しているように思われる。

 ここで重要と思われるのは・・・・・・・・

 夢の映像⇒音といったベクトルの動きで、決して夢の映像(視覚)⇒音(聴覚)ではないということだ。つまり夢とは視覚という概念で理解すると実体から離れてしまうということになる。

 では夢の映像が視覚の働きで現れるわけでないとしたら、一体その正体は・・・・・・・?

・・・・・意識が対象を受容し了解するという構造をたもちえないところから、必然的に与えられたものが夢の形像であって、いかなる意味でも視覚像ではありえない・・・・・・・・

・・・・・・・夢の形像は、眠りによって条件づけられた心的な受容の空間化度が消失し、心的な了解の時間化度が変容することから直接に必然的にやってきたものである。               (―心的現象としての夢― 『心的現象論序説』 吉本隆明著より

 ここで氏は何を言っているのかというと、つまり夢の場合、眼を閉じた僕の眼は息子を視覚によって確認する事は出来ない。従って、視覚に携わらない心的な映像の構成作用、つまり、まるで像を見ているかのように心的な回路が働き、像を形成するより先に、像を認知することを視覚器官をとばして(短絡させて)成立させてしまうということだ。このことが心的な了解の時間化度と言うことの中身だ。
 であるからこそ、僕は高3の次男耕介と中2の次男耕介を同時に確認している記憶を持つことが出来る。そして、このことは視覚による映像に実際要する客観的時間とは比較にならないほどの短い所要時間と密度で、Dream View (夢の映像)を構成することを可能にする。
 従って、たった五分位の睡眠中の夢に、一生にもたとえられそうなドラマを見たと夢の後で思い返すことが出来るのだ。

 これは良く聴く話だが、緊急脱出したパイロットが、パラシュートが開かず地上に落ちた際、樹木に引っかかって運良く生還したことを後から回想すると、まるで走馬燈のように過去の一生の出来事を地上に着地するまでの短い時間に全て見切ってしまうということが分かっている。恐らくこのことも「視覚映像」を見るのではなく、認知像を心的に受容したと記憶することではないのかと推測できる。

 ここまで来てやっと夢の中での映像と音の変換の話に入る準備が出来た。

 入眠時の意識が薄れていき、丁度夢の構成にまさに入ろうとする時点で、先ほど話したような「音」を確認する心的現象が立ち上がってくることがある。

 かってデジャブに関して吉本隆明は、次のような解釈を提示した・・・・・・・

「胎児が母体内で成長し出産が近くなると、既に胎児の感覚器官は成人のものに近づく。視覚の機能は完成しているが、子宮内の羊水に浸かっているため外界のものを見ることは出来ない。しかし、聴覚は充分に外界からの情報を受容できる。従って外界からの情報は、ほぼ聴覚へ収斂し、そこで他の器官のものとして変換される。このことは聴覚から入ってきた情報を、視覚回路を経ず像化することを、胎児は常に反復していることを意味する。この回路が出産後に残余として残り、そのときどきで我々の前にデジャブとして再現される。つまり「いま・ここ」で見えていることが、かつて同じ時空間として体験したことがある!と、視覚を跳び超えて認知が先行すること。これがデジャブ(既視体験)のメカニズムと思われる。」

 吉本のこの指摘は、とても示唆的である。

入眠時の「映像」から「音」への変換は、デジャブと同じ構造から来るものとして考えると、とても分かり易い。つまり、に視点を据えて考えると、眼を閉じて入眠に入っていくことと、子宮内にいることと同じ構造を持つことになるなるからだ。
入眠時 Dream View (夢の映像)が「音」に変換されるのもこのような経緯の中で立ち上がってくる現象ではないだろうか・・・・・・・・?