Benz W123    1月27日

 ついにBenz W123 を手に入れた。 75歳を過ぎたあるご老人が、エアコンの故障を契機に永年乗ったこの名車を手放すことになり、縁があって目をハートにして探していた僕のところにやって来た。
 '83年製造のこの車は、日本での販売を前に市場調査の目的でディーラー自身がドイツ本国から並行輸入したものだ。結局、2000ccというこのクラスは中途半端な大きさだったため、カタログに加えられることはなく、前オーナーの手に渡ったのは、三年後の'86年になったらしい。(車検証の初年度登録欄に昭和61年8月と記載がある)。
 何より窓の開け閉めが手回しのハンドルであることと、アンテナの出し入れも手動によるところが気に入っている。ラジオもドイツ仕様のため、FMが88MHzからセッティングされていて、TVの1chと3chの音声しか入らない。勿論、このチューニングも手動だ。デザインも野暮ったくていい。
              
 
 車を単なる移動のための道具だと考えるならば、故障がまず無い日本車で充分満足できる。座り心地や、ハンドル周りに使い勝手良くセッティングされたスイッチ、そして、見やすい計器類など非の打ち所無く、実に「痒いところに手が届いている」。じゃ、何故使い勝手の悪い、メンテナンスも大変な逆差別されるBenzに乗りたがるのだろう?それは、一口に言ってデザインと言える。

 以前、このコラムの欄でも「VW TIPE U」という車のことを述べたが、その時にも触れたがものの表層に張り付いていると思われているデザインに、実はものの全てが含まれていると、僕は常々考えている。化石燃料による内燃機関という非効率的な構造を持つガソリン自動車という乗り物は、ガソリンを爆発させて出るエネルギーを、エンジン内のピストンによる上下運動からクランクによる回転運動に換える機構と、それに沿った自然で無理のない車のデザインを備えている。しかし、このガソリン自動車という乗り物は'70年代で完成してしまったと言えるのではないか?その後は、ただただ使い勝手を追求するか、それ以前の自動車のイメージを再生産するしかなくなっていると思える。つい最近も、アメリカで国際モーターショーが開催され、そこで話題になった車は、外観が全くの'60年代、’70年代で、室内は、これでもか!といったハイテク装備に仕上げられていたそうだ。その意味で、石油(化石燃料)文化は、既に終わっていて、文化も経済も新しいエネルギーを待ち望んでいると言える。つまり、今のエネルギー機構の中での車のデザインは、'70年代までのものを凌げない。それならば何故今回'83年製造のBenzに乗ることにしたのか?。それは、所(ジョージ)さんのように、一人で何台もビンテージカーを持てる身分なら別だが、今の僕にはそんな余裕はない。従って、'70年代のスタイルを引きずっていて、尚かつ道具としての実働性を併せ持っているW123に落ち着いたと言うわけだ。

   
     (「ベルリン大聖堂」  '95年 ベルリンにて)

 それにしてもたかが車といってあなどってはならない。一台の車からいろいろなものが見えてくるからだ。皮肉にも、今回ドイツ車に乗り換えてみて逆にそれまで乗っていた日本車の良さが分かった。その日本車の良さとは、丁度四畳半のコタツのある部屋で仕事をしているようなものだ。手を伸ばせば定規は取れるし、疲れた時ごろんとすれば枕もそばにある。背中が痒い時、目をつぶってても手をまさぐれば必ず孫の手にいきあたる。《ンナことはねえだろ!》 
 
  そういえば、何年か前ドイツで個展をする機会を持ってフランクフルトのホテルに宿をとったとき、喉が渇いたので缶ビールでもと夜の街に出てみたが、あちこち彷徨して歩き廻ってもコンビニはおろか自動販売機すら見あたらなかった。ミュンヘンでは、溜まった荷物を日本に送ろうと、バーンホフ(中央駅)前の郵便局に小包を汗をかきかき運んでいったら「専用の窓口にいってくれ」と断られ、市電を使ったなら二駅か三駅先の小包限定の窓口まで、泣く泣く担いで運んだ。我が街東逗子の四畳半のような郵便局の分局ですら、国内はおろか受取人にイボイノシシが出てくるアフリカの奥地にまでゆーパックは届けてくれるのに!!

  こんなに、けなげな日本文化なのに何故ドイツ文化に惹かれるのか?それは、どんなに使いやすいファスナーが付いているポケットの多い、肌触りのいいジャケットでも、デザインが悪ければ絶対着たくならないのと同じだ。Over Quality といわれ、技術の粋を極めた W123は、デザインでもBenzという二十世紀を代表する自動車会社のコンセプトを遺憾なく発揮している名車と言える。
 
 先週の雪の日も、腐蝕して破損したバッテリー受けをFRPで補修した。夜中の十二時過ぎまで!アホみたいだ。正直言うと、翌朝まで修理を続けていたかったくらいだ。それくらいずっと一緒に触れあっていたくなる車だと言える。
 
 明日の日曜日はドライブにでもと考えていたが、悔しいかな外は大雪だ。仕方がないので、御近所の怪訝そうな視線を受けながら車の下に潜ることにした・・・・・・。

BACK