年寄りは生きていてもしょうがない・・・・・・?  5月25日


「庭の鉄線」

 ゴールデンウィーク中に起こった「64歳主婦殺害事件」とバスジャック事件、何れも17歳の少年の起こした凄惨な殺人事件だ。そして誰の目にも明らかなのは、彼らの無意識に3年前、神戸で起きた「酒鬼薔薇聖斗事件」が色濃く反映していると言うことだ。そして、彼らが被害者に向けた視線が 「年寄りは生きていてもしょうがない」、あるいは「障害児は生きていてもしょうがない」と言うものだ。思想家吉本隆明氏が指摘していたように、「老人問題はつまり障害者の問題だ」というのは実に当を得ている。表向き「お年寄りやハンディーのある人をいたわりましょう」と唱えたところで、社会の無意識がそれを裏切っている。労働力(=生産力)を持たない人間は生きていてもしょうがない厄介者という構図は、たとえ吉本氏が言うように「資本主義は人類の歴史が無意識に生んだ最高傑作だ」ということが正しいとしても、資本主義の理念の中にはしっかりと映っていない。これは、最高傑作としての資本主義が最後に残した課題であることは間違いない。どうすればこの社会が、障害者を肩に力を入れずに異和の無い自然な風景として社会化出来るか・・・・・・ということを、ヒューマニズムとは無関係に実現できるかどうかが、現在の重要な課題だ。勿論、人類全体を救えるような銘解答を残念ながら僕は持っていない。吉本氏は「時代の病理」(春秋社)という著書の中でこの課題に対して一つのヒントを出している。それは、新しい贈与という概念が必要だ、ということだ。この贈与という概念は、氏の言うように<持てる者>と<持たざる者>との間で「贈与」をする者が損得勘定の損をして、一方がもう一方を助けるといった<善悪>観や倫理観ではない新しい贈与という考え方だ。難しそうだが、この考え方無くしてはどっちにしてもこの社会はもたないことは事実の様な気がする。 

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