BS・村上龍「失われた10年」を見て  6 月 5日

 作家村上龍が1・2回に分け、日本経済及び日本文化全体に大きなダメージを与えた「バブル」をどう捉えるかをテーマにした番組がBSで組まれた。昨年 Bubble Fantasy 「あの金で何が買えたか」(村上龍・著)を僕自身、衝撃的に読んだ記憶もまだ新しいが、氏はさらにこのように僕らが起こした「バブル」という愚かしい悲劇を、追いつめるだけ追いつめることによってそこから僕たちの現在の致命的な課題を見いだそうとしていた。
 今回は、彼自身が開いているインターネットのWeb Magazine を通し、その読者に「バブル」に関して様々な角度からの質問を投げかけ、それに読者がE-mail で答えるといった現在的な手法が効果的に使われていた。

 
  「あの金で何が買えたか」よりカット

 当時、渦中にあった金融関係及び関係省庁の担当者からも積極的な解答が寄せられた。彼らの意見を見てみると、それはちょうど第二次大戦の渦中にあった日本国民に、戦後投げ掛けた質問(何故、あのような大戦が起き、それに日本が参戦したのか?)への解答と瓜二つだ。まるで、デジャブを見るかのように。ある識者が「それはカルト集団と何ら変わらない。外から見ていると、何て愚かしい小さな問題にかかずらっているのか?理解しがたいと思えるのだが、中にいる連中は全くそうは感じてない。こういう組織力学を構造的に造るのが、終身雇用制と護送船団方式を成立させる外部を見せないやり方だ。」と述べていた。
 最後に村上龍が結論として、ゲストの学生の質問に答えていた。「龍さんは、今後、日本がどのような社会になったら良いと思っていますか?」(学生)、「僕たち大人は、そういう質問に答えちゃいけないと思う。大人は若者に、こう生きるべきだとか、こういう社会が望ましいとか言っちゃいけない。それは、国家が国民に対してああせい、こうせいと、方向付けしてはならないのと同じだ。僕たちは、一人一人がそれぞれに自分の生き方を持たなければ、再び同じ不幸を繰り返すだろう」(村上龍)
 しかし、僕たち日本人がこのような姿勢を持つようになるには、幼い頃から子供それぞれに選択権を持たせ、全てのシュチエーションで多くの選択肢の中から自分が「これ」というものを「選ぶ」ことを日常化させないと獲得できない。そうすることによって、そこから派生する事態に関しての責任の所在も明らかになり、それに応える訓練も重ねることが出来ると言うものだ。このようなことが、家庭及び学校教育機関等、日本全体でシステム化出来ない限り、「第二のバブル」をはじめ、「少年犯罪」、「警察の不祥事」、「東海村放射能漏洩事件」等々、愚かしい悲劇が後を絶たないだろう。

BS・村上龍「失われた10年」を見て  6 月 5日

 作家村上龍が1・2回に分け、日本経済及び日本文化全体に大きなダメージを与えた「バブル」をどう捉えるかをテーマにした番組がBSで組まれた。昨年 Bubble Fantasy 「あの金で何が買えたか」(村上龍・著)を僕自身、衝撃的に読んだ記憶もまだ新しいが、氏はさらにこのように僕らが起こした「バブル」という愚かしい悲劇を、追いつめるだけ追いつめることによってそこから僕たちの現在の致命的な課題を見いだそうとしていた。
 今回は、彼自身が開いているインターネットのWeb Magazine を通し、その読者に「バブル」に関して様々な角度からの質問を投げかけ、それに読者がE-mail で答えるといった現在的な手法が効果的に使われていた。

 
  「あの金で何が買えたか」よりカット

 当時、渦中にあった金融関係及び関係省庁の担当者からも積極的な解答が寄せられた。彼らの意見を見てみると、それはちょうど第二次大戦の渦中にあった日本国民に、戦後投げ掛けた質問(何故、あのような大戦が起き、それに日本が参戦したのか?)への解答と瓜二つだ。まるで、デジャブを見るかのように。ある識者が「それはカルト集団と何ら変わらない。外から見ていると、何て愚かしい小さな問題にかかずらっているのか?理解しがたいと思えるのだが、中にいる連中は全くそうは感じてない。こういう組織力学を構造的に造るのが、終身雇用制と護送船団方式を成立させる外部を見せないやり方だ。」と述べていた。
 最後に村上龍が結論として、ゲストの学生の質問に答えていた。「龍さんは、今後、日本がどのような社会になったら良いと思っていますか?」(学生)、「僕たち大人は、そういう質問に答えちゃいけないと思う。大人は若者に、こう生きるべきだとか、こういう社会が望ましいとか言っちゃいけない。それは、国家が国民に対してああせい、こうせいと、方向付けしてはならないのと同じだ。僕たちは、一人一人がそれぞれに自分の生き方を持たなければ、再び同じ不幸を繰り返すだろう」(村上龍)
 しかし、僕たち日本人がこのような姿勢を持つようになるには、幼い頃から子供それぞれに選択権を持たせ、全てのシュチエーションで多くの選択肢の中から自分が「これ」というものを「選ぶ」ことを日常化させないと獲得できない。そうすることによって、そこから派生する事態に関しての責任の所在も明らかになり、それに応える訓練も重ねることが出来ると言うものだ。このようなことが、家庭及び学校教育機関等、日本全体でシステム化出来ない限り、「第二のバブル」をはじめ、「少年犯罪」、「警察の不祥事」、「東海村放射能漏洩事件」等々、愚かしい悲劇が後を絶たないだろう。

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